メロンダウト

メロンについて考えるよ

Google検索の致命性と炎上と政治とインターネットとオルタナ右翼と私

検索エンジンを使うさいに人間は知らない言葉では検索できない。ここに検索エンジンの限界があって同時にブログなど発信する側は検索できる内容のタイトルをつけなければ読まれない。そしてここにインターネットの知的好奇心の限界があるように思う。検索容易性の致命性とでもいえばいいのか、このなんだかよくわからない表題も永遠に検索されずにネットの海に溺れることになると確信しているのだが

言葉のリーチ力という問題があって難しいことは難しいゆえに理解されないなんてことが往々にして起こる。そして理解されないから読んでもわからないから読まれない。

炎上も同じ方程式で説明できる。たとえば人権など基礎の基礎であって誰でも理解できる話題ほど理解できるから読まれて拡散されやすい。そして書く側も難しいことを書いてもGoogleから検索もされず読者にも理解されないから平易な言葉を羅列するようになる。だからもうアクセスを集めるには炎上させるか芸能人になるしか事実上ありえないほどに無知へ傾く力(無知バイアス)が強くなっている。アドセンスを貼りアクセスを考えてブログを書く経済合理性から考えて誰も書いていない言葉を書くのははっきりと合理的ではない。だからこんなこと書くと意識高い方に怒られるのかわからないがアクセスを集めたいのなら引用を多用し文字数を埋めてSEOに特化して平易な言葉でなんの独創性もない無駄に長い長文を書いたほうがいい。それすらめんどくさいのであればフェミニズム原発憲法、タバコなどなど話題に関して琴線を刺激するような挑発的な短文を投稿するしかない。

それ以外のいわゆる良質なオピニオンははてなブックマークで共有されることはあってもその意見の独創性と着眼点の意外性から検索されることは絶望的なのでGoogleからアクセスはこない。ゆえに恒常的にアクセスを集めることは困難である。だから炎上させるし平易な言葉でアフィリエイと記事をあげる。

これはおそらく政治に関しても同じことが言える。インターネットの登場でありとあらゆる議題が議論されることになったが人間のリテラシー能力なんかほとんどまったく信用してはならずある特定分野の話題に関してだけ判断できるだけでその他のことに関しては全員が全員無知だと断定していい。

小保方さんの時に思ったがSTAP細胞の再現性など大多数の人にとってまったく意味不明の問題に関してあれだけ盛り上がったのはたんにメディアに踊らされていたからでしかない。それはありとあらゆることがインターネットでそうなった。騒音おばさんや高畑裕太さんの件でも新しい情報が出れば右にも左にもふれるピーキーな話題なのに一次ソースの属性でまるで善悪を断定するような世論が形成されてしまうほどこの社会は急進化してしまった。

つまり民主主義は基本的に無知の集合体であって資本主義や俗情と結託した世論のキャンペーンで簡単に右往左往してしまうものでしかない。ゆえにそんな議論は完全に無駄だ。エンターテインメントでしかない。

それが実際の政治の現場にも反映されてきている。ドゥテルテやトランプなどがそのいい例だろう。最近の言葉でいえばオルタナ右翼とかいうやつだ。人間はカオスである前提をもって複雑多様な社会を包摂して形成してきた歴史的政治体系を無視して、もはや芸能人よろしく人気投票、強い言葉で衆目をあつめたもの勝ちでブログと同じことがおきている。政治のアフィリエイトサイト化である。

つまり人にアクセスできる言葉でブログを書くことと同じようになんにも考えていない人にも理解しやすい「正義」または「大儀」なんて明治時代かと思うほどの単純さでもって政策を決定しようとしている。ブログ文化などいくらゴミになってもかまわないが政治が容易性に侵食されるのはこれはおそらく文句なく危機である。

対策は理念的には一般意思を取り戻すことで具体的にはインターネットとテレビをほうりなげるしかないと思う。世の中の動向など完全に無視して自分の選挙区の人間にフルコミットするのが一般人ができる最善の行動だろう。いや他国のことなどそもそもがどうでもいいので勝手にしてどうぞという他はない。日本がそうなったら偉い人になんとかしてもらうしかない。人まかせ、それが私の立場である。この文章も永久に検索されることはなく無意味なゴミと化すのでこの文章の死をあらかじめ祈っておこう。合掌