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メロンダウト

メロンについて考えるよ

尾崎豊とキャリアとNirvanaと高橋まつりさんと小生

個人の人生は個人の人生でしかない。ので比較することに意味などそもそもがない・・・と理念的にはそう「思われている」。しかしこの世界は残酷にも相対主義であって否がおうにも競争にさらされるしかない。たとえば今こうしてパソコンを使って文章を書いているようにデジタル端末を全て捨てて生きることはもう不可能だ。物理的には可能であるがコミュニケーションも仕事も買い物さえもパソコンを介さなければならなくなった。同じように競争にも巻き込まれざるを得ない。不可避の事態として。

尾崎豊は「僕が僕であるために勝ち続けなければいけない」ということを歌った。そしてSMAPは「世界にひとつだけの花」と歌った。両者は言質としては完全に矛盾しているが願望としては相混ざるものである。僕が僕であるために勝ち続けなければいけないという歌を思い出したのは電通に入社し激務で自殺してしまったキャリア組の「降りたら死ぬレール」というエントリーを読んだからだ。激務による判断力の低下が大きな要因であるのだろうが東大を卒業し電通に入社しと勝ち続けたゆえに肥大されてしまった自己をめぐる闘争なのだろう。その点で電通の社員も尾崎豊もまったく同じ問題を抱えていたのだろう。自我という哲学的には最大の命題を解決する困難さがここにはある。自己が肥大されてしまったと書いたのは東大を卒業してもオンリーワンでありたく社会的な評価など瑣末と多くの人は考えたいと思うがデジタル端末と同じように「勝ち組、東大、キャリア」を他人から不可避の評価として与えられてしまう。そしてそれを回避して生きるのはとんでもなく難しい。いや不可能だと言ってもいい。人間の自己存在は単体では存在できないので他者と架橋する評価は切っても切りきれないからだ。だから尾崎豊は「僕が僕であるために勝ち続けなければいけない」とそう歌った。僕はこの言葉の意味がよくわからないまま聴いていた。勝つことと自分の存在とがなぜそんなに不可分なのか理解できなかったからかもしれない。しかしこの曲の意味がわかったのは大学に入ってからだった。大学名は明かせないが自分も上の下程度の大学にはいり卒業した。入学した当初、両親や同級生に合格したことを話すと口を揃えて「すごい、すごい」と言った。大学に受験する人間がかなり少ない高校のうえ僕が入学した大学に合格した人はOBでも数えるほどしかいなかった。しかし僕個人の感覚としては全くすごいなんて自覚はなかった。「やれば誰でも受かる」大学でしかなかったからだ。入学してからもそれは続いた。地元に帰ればまるで秀才のような扱いをうけ時に困惑することもあった。しかしそんな反応にも自然と慣れいつしか無難で定型的な、それでいて自然な言葉を返せるようになった。この瞬間僕はその評価に飲み込まれてしまっていたのだ。特段して秀でた能力もなく学内でも頭がよいほうではなかったがその無根拠な評価にいつしか僕の自我を重ねていってしまった。これははっきりと学歴のデメリットである。何者でもない人間なのに無条件に承認されるのは世界中でも日本の偏差値が高い大学という場所に限られているだろう。そして僕は僕であるために勝ち続けなければいけないという尾崎豊の歌詞の意味を理解した。

尾崎豊もあの若さで承認されほとんど自分のあずかり知らないところで爆発的に広がる自己に苦しんでいたのだろう。そして自殺した。カートコバーンもまったく同じ理由で自殺した。それはちんけな大学で僕が感じたことと量的にはまったく違うが質的には同じものなのであろう。そしてこの問題は「降りたら死ぬレール」にも直接リンクする。無作為に広がる勝ち組という評価に自己を重ねる。そうすると評価や期待だけが膨らみそれだけタスクが増えていくが自分の体はひとつしかないので手に負えなくなる。それでも自己を保とうとすると最悪の結果が待っている。

高学歴や若さもそうであるがほぼ無条件の承認はのちに必ず自らに毒となって降り注ぐのだ。まとめると社会的評価に自己を重ねるのは危険であって不可避である。解決方法は勝ち続けるか・・・もしくは激しい痛みを覚悟しつつも自己を切り捨てるしかない。小生はそう思う。

 

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