メロンダウト

メロンについて考えるよ

N国に投票したが取り消したい。恥ずかしい。ごめんなさい。

先月の参院選でN国に投票しました。

投票した理由についてはこちら 

plagmaticjam.hatenablog.com

 

 

それからN国界隈をウォッチしているのだけど、日を追うごとに投票した自分が恥ずかしくなってきた。何を考えてN国なんかに投票したんだ自分は。

 

実は立花氏のことは6年ぐらい前から存在を知っていた。僕はこのブログを書き始める前、パチスロブログを書いていた。今みたいな抽象的なことではなくもっと日記に近い形式で書いていてその時に他のパチスロブログなども見ていた。そんな折にパチンコ界隈で有名だったパチプロ清志という人物を知ることになる。

ググればすぐに出てくるがいわゆる情報商材屋でパチンコ塾なるものを開催していた。今でいうオンラインサロンにあたるがそれについて僕は当時のブログで批判的な記事を書いていた。会費が30万とか馬鹿げていてまあほとんど詐欺に近い形だったわけだ。

清志はその後、パチンコが下火になると国際結婚斡旋業など怪しいビジネスに乗り出し、最終的には養子縁組の里親仲介ビジネスで紹介料をとって逮捕された。

いっぽうで立花孝志は当時、パチンコの打ち子軍団を組織していた。

 

そうして清志をウォッチしていると立花孝志と対談している動画を発見することになる。それを見て立花孝志の存在を知った。当時からNHKを壊す活動をしていてその活動資金としてパチンコの打ち子軍団を組織して利益をあげているようであった。

対談の内容は一切覚えていないしそれほど印象に残っていない。ただパチンコの軍団はパチンコ屋や一般客からは嫌われている存在なのでああそういう人かと思っただけだ。

それから僕自身パチンコをやめて彼らの存在を忘れていたが次第に政治的に力を持つようになり表に出てくるようになって再び立花孝志を知ることになる。

 

NHKをぶっ壊す活動は政策的には賛同できる。個人的には料金を安くして集金の方法を変えるなどすればそれでいいとも思っている。投票した理由は電子的直接民主主義で議決権を行使するといっていたからだけであった。

 

しかしそれから立花氏をウォッチしているとN国のなりふりのかまわなさはやばいんじゃないかと思ってきたのだ。立花氏個人はNHKをぶっ壊す以外の目的はなくとも政策を実現するには数が必要になる。立花氏本人もそれはわかっていて誰でもいいからNHKを壊すために数を集めようとしている。市議会にも候補をどんどん送って地場固めをしている。それはNHKをぶっ壊すというワンイシューとしては戦略的に正しいのだろう。しかしそれによって生まれる政治的弊害は看過できないレベルにまで拡散するのではないかという危惧が芽生えてきたのだ。

 

ワンイシューを通すために権力が必要。権力を行使するには数が必要。

そしてワンイシュー政党は数を集めやすい。憲法改正社会保障などの他の重要政策についてはどうでもいいのだからこれほど数を集めやすい政党はかつてないだろう。そうして集まった政治的には何も考えていない理念のない権力の寄せ集めがどうなるかは自明である。必ず政治的には最悪の方向に向かう。

それは参院選後の市議選の様子を見ればすでに顕在化している。

ヤクザのような怒号で一市民を恫喝している柏市議選の動画がある。政治的素養を無視して数を寄せ集めようとすればこういう輩のような人物も集まってくることを証明している。17分あたりから。演説中に一言だけ「嘘つき」とヤジを飛ばした男性を取り囲んでいる。

youtu.be

 

自民党立憲民主党のように理念的に活動していて一応の主体がある政党とは違い、N国のそれは将来的には絶対にポピュリズムに着地する。NHKをぶっ壊すのは既得権益の破壊という点で現在という視点だけから見るとまっとうな政策に見える。

しかし単一の正義はそれがどんなものであれ暴走する。NHKをぶっ壊した後に立花氏は議員をやめると言っている。しかし組織した政党が解党するわけがない。政党助成金をもらい、全国に市議がいる政党が立花氏の一存でなくなるわけがない。

柏市議選で市民を恫喝している大橋氏は当選したみたいであるが、仮にNHKをぶっ壊してもこういう人間を政治に送り込むN国の「数の論理」はNHKをぶっ壊す以上の功罪を生むことになるだろう。

 

僕はそれに一時的にでも賛同し投票したことを本当に恥ずかしく思っている。僕は間違っていた。二度としない。本当にごめんなさい。

hideがピンクスパイダーで予言したインターネット社会の様相

はてなブログで歌詞を載せられるようになったので以前書いた記事を再掲載します。

 

hideが生前に残したピンクスパイダーという曲がある

 

www.youtube.com

 

 

hideは当時のインタビューでピンクを妄想、スパイダーをウェブサイトのウェブと述べていて

実は色んな要素が、すげえ一杯入っててタイトルからしていくつもの要素からできててピンクっていう色は妄想の象徴。スパイダーは蜘蛛自体よりも”蜘蛛の糸”っていうのにこだわりがあったんですよ。蜘蛛の糸って英語でwebって言う。情報を張り巡らせるっていう意味。web siteのwebなのね

http://sound.jp/hide-psyte/pink-spider-page.html

 

さらにCD全盛期、インターネット黎明期のあの時代ににすでに現在のようにインターネットで音楽を聞くようになると話していたという

www.musicman-net.com

 

そんな思惑が詰め込まれたピンクスパイダーの歌詞

 

音楽の歌詞というのは一般化されて誰もが共感しやすいように作られている。ピンクスパイダーの歌詞に関しては比喩な表現を多用して解釈を持たせているように見える。空、雲、翼、鳥など具体的なものでも別のなにかを想像して記号化されたものが非常に多いので人によって捉え方が違ったりする。

多少なり恣意的になってしまう恐れがあるのだがあえて歌詞全文についてインターネットというキーワードを想定しながら解釈してみることにする

歌詞はピンクにしました

 

君は嘘の糸張り巡らし 小さな世界 全てだと思っていた

嘘だらけのインターネットの世界から見える世間の価値観を全てだと思い取り込まれていく様

 

 近づくものは なんでも傷つけて 君は 空が四角いと思ってた

自分が信じている物が脅かされることを異常に嫌うことを「近づくものはなんでも傷つけて」と表している。ネット社会における確証バイアス、見たいものしか見ないで先鋭化する状態を言い当てている。

嘘で固められた価値観で世界を見ていたら心の柔軟性を欠くようになってしまったことを「四角い空」と表現している

 

「これが全て…どうせこんなもんだろ?」君は言った… それも嘘さ…

仮想空間から現実を「全て」分析している気になって世界を諦めている、けれどそれも嘘だと本当は気づいている

 

ケバケバしい 君の模様が寂しそうで 極楽鳥が 珍しく話しかけた

凝り固まって傍目にはうるさい心持ちのことを「ケバケバしい」と表現しそれはとても寂しいものだよと説いている

極楽鳥の意味はそんなケバケバしい心持ちでも時にはすがすがしい瞬間もあるということと読める

 

「蝶の羽根いただいて こっち来いよ」「向こうでは 思い通りさ」

インターネットという仮想空間の良い部分=「蝶の羽根」と表現していて向こうという現実に誘っているようにも読めるし単純にどこか別の場所とも読める

 

ピンク スパイダー 「行きたいなぁ」

ピンク スパイダー 「翼が欲しい…」

虚構世界に生きる人が現実世界への憧れを呟いているようにも見える

具体的に言えばリア充への嫉妬のようなものだろう

デートもしたいし結婚もしたいし友人とも遊びたいことを一言で「行きたい」と言いそれでも躊躇してしまう自分の重さを嘆き「翼が欲しい」と表現している

両方とも括弧つきで呟いているだけなのが現在、twitterでつぶやいている人と酷似する

 

捕えた蝶の 命乞い聞かず 君は空を睨む

インターネットで他者を攻撃して炎上させる心理状態そのもの

どこかで馬鹿をやって炎上している他人が「捕えた蝶」、「命乞い聞かず」は相手の謝罪に聞く耳を持たないことを表し、「空を睨む」は世間への態度ということだろう

 

そして

「傷つけたのは 憎いからじゃない 僕には羽根が無く あの空が 高すぎたから…」

炎上させる、「傷つけた」のは相手が「憎いからじゃなく」妬み、つらみが原因であり自分の能力のなさを「羽根がない」と呪い社会と自分のバランスが取れないことを「空が高すぎる」と表現している

 

(セリフ)「私の翼を使うがいいわ,スパイダー。飛び続けるつらさを知らないあなたも,いつか気付く事でしょう。自分が誰かの手の中でしか飛んでいなかった事に。そして,それを自由なんて呼んでいた事にも…。」

プラットフォーマーが提供するサービス内で匿名性を利用し傍若無人にふるまうことを自由と呼んでいる滑稽さを主張している。

 

借り物の翼では うまく飛べず まっさかさま 墜落してゆく

どっかから借りてきた価値観ややり方ではうまくいかないどころかウェブという仮想空間を相手にしているかぎり「墜落してゆく」と説いている

 

ピンク スパイダー 「もうダメだ」

ピンク スパイダー 「空は見えるのに…」

ピンク スパイダー 「失敗だぁ」

ピンク スパイダー 「翼が欲しい…」

ウェブにおける仮想人格「ピンクスパイダー」の絶望が最高潮に達して嘆いている

 

わずかに見えた あの空の向こう 鳥達は南へ

空とは現実。鳥達は本当に自由に生きている人達を表している。彼らは暖かい南に飛んでいくのを地上(ウェブ)からみている様を表している

 

「もう一度飛ぼう この糸切り裂き自らのジェットで あの雲が 通り過ぎたら…」

ピンク スパイダー 空は呼んでいるピンク スパイダー ピンク スパイダー

我に返り自分の足を「自らのジェット」と表しhideの一つ前のシングルであるROCKET DIVEを連想させる、そして邪魔な雲、ここでは自らの枷になっている上述したようなウェブ的価値観が消えたら歩き出そうと呟いている

ROCKET DIVEとピンクスパイダーとever freeは3部作で人生を表していて

ROCKET DIVEを若いころの勢い

ピンクスパイダーを挫折や失敗

ever freeをいくつになっても自由でチャレンジしてよいことを歌っている

 桃色のくもが 空を流れる…

冒頭に書いたように桃色(ピンク)は妄想を意味していて空=「現実」を見ようとしているのに雲(ウェブ的価値観)が邪魔だなと嘆いている。

バッドエンドで曲は終わってしまう

 

 

もうhideが亡くなってから21年たつ。ピンクスパイダーが発売されたのはそれ以前だから今みたいなインターネット環境はもちろんない。

もちろんhideが意味していたピンクスパイダーは僕が解釈するところとは違うのかもしれない。絶望の淵にいる人から見る世界とかもっと普遍的なことを歌っているのだと見ることもできる。

しかしここまで的確に今起きているインターネットの弊害を言い当てているのはものすごい。当時なんかまだ携帯電話の普及率もそれほど高くなくてネットに繋いでいる人はごく一部だった。

そんな時代でここまでの先見の明を持っていたのは天才という他ない。

20年以上経つけれど亡くなってしまったことが本当に残念だ。今を生きていたらどんな曲をつくっていたのだろうかと思う。

 

 

ピンクスパイダーは絶望を歌っているけれどever freeが続きになっていてそこでは希望を歌っているのでそういう風に聞くとすこしまた違ったhideに出会えるかもしれない。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

生きづらいのではない、生きる意味がないのだ

生きづらい。不幸だ。格差が広がっている。閉塞感がある。

などなどもう手垢がついた言い回しにすら聞こえるほどここ20年ほどの間、日本は失速してきた。経済的にもデフレが続き、それを一因とした少子化などによって社会も失速していった。それらを解決しようと政治が試みても実質賃金は上がらず人口減が続いている。それに伴い年金は事実上破綻して格差は広がるばかりで、とネガティブな話をすればきりがない。

しかしそれほど生きづらいだろうかとも同時に思う。生きづらいという言葉には外部の条件を示唆するようなニュアンスが含まれている。外部条件として考えた時に日本で生きることが難しいのは本当なのだろうか?僕は生きづらいという言葉には齟齬があると思っている。

自分が置かれている状態を言葉にするのはとても大事な作業である。それゆえ単純に「生きづらい」とワンフレーズで結論づけてしまうことはかなり危うい。特にこういう生きるといった重要なテーマでこそ慎重に考えるべきである。わかりやすい言葉で自分の現状を認識するのは拡散性があるので共同性もある。生きづらいというと共感してくれる人たちが集まってくる。しかしそれは危険だと思う。生きづらいが真であるかのごとく錯覚してその言葉に意識を「持っていかれる」可能性がある。

 

なのでここでは「生きづらい」に疑問を呈してみる。

生きづらいは様々な意味を射程とする言葉であるが一般的には「生きることが難しい」に変換される。政治的にも経済的にも社会的にも失速している日本は外部の環境が劣化しているので生きることが難しいにも一定の説得力がありそうだ。

しかし生きることが難しくはないだろう。日本の治安、インフラ、食糧事情、利便性などを考えればこれほど生きることがたやすい国はない。夜中に女性が一人で歩いていてもおかしくない国はかなり恵まれている言える。

生きるためならスーパーで豚バラと白菜でも買って鍋にすれば生きることはたやすい。餓死することはほとんどありえない。

社会的側面では偏見などもいまだあるにせよ独身差別やLGBT差別も少なくなり、女性も働きやすくなりつつある。

昔みたいに町は土着的で終身雇用ではいった企業に人間性を染められるようなこともない。

海外旅行に行くのも格段に安くなった。

この国は「外部条件的には生きやすくなっている」と言える。生きづらいと言っている人たちもその恩恵は享受しているはずだ。それでも生きづらいというには何か別のもっと抽象的な理由があるはずだ。

 

昔の土着的な差別や偏見、または戦争などによる生きづらさと現在僕達が暮らす社会における生きづらさは全く別のものになっている。

昔は自由がなかった。自由に同姓を愛することもできなければ自由に結婚相手を決めることもできず生き方が固定化されていて生きづらいと感じている人が多かったのだろう。今はそんなことはない。個別ケースで見れば前時代的な環境にある人もいるだろうけれど昔ほど他者の生き方に口を出す人は少なくなった。自由で、個人が尊重されるようになっていってる。

 

しかしそれこそが問題として噴き出してきている。今、僕達に起きているのは自由な個人でいるゆえの問題ばかりだ。

人が一人でいる限りそこに生きやすいも生きづらいもない。ただ個人の欲望があるだけである。欲望を満たすための条件なら今の日本は充分に整っている。しかし食べて寝ているだけでは生きているとは言えない。個人である限り物語もなければ愛情も友情も正しさもなにもかも存在しない。

人間は一人でいるかぎり欲望を発散するだけの動物である。手段の違いはあれど個人の目的はすべて欲望の範囲に収まる。共同体意識がなければ自分より他人を優先することもない。他者を多様性という金言で隔離しているかぎり自分を脅かす人として他者は存在しえない。

個人主義者は欲望が合致した人間と性的欲望を満たしあったりすることもあるがそこに一切の物語を認めようとはしない。論理的に整合性がある関係にしかなびかない。僕達はそれを自由と呼ぶ「ことにした」のだ。個人と個人が侵食しない安全な関係だけが関係として成り立つ社会は欲望を満たす社会においては完璧な社会である。しかしそこに自己を脅かす戦慄はない。異性愛者がレズビアンやゲイをくどくのはタブーであり、好意がない異性同士が言い寄るのはハラスメントとなる。

そういったルールが出来上がっていくと他人が他人を見る時にも自由主義個人主義的観点から干渉しないようになっていく。他人が自己に干渉しないようになっていくとますます個人主義が加速して欲望しか残らなくなる。

 

一見すると個人が自由に生きていい社会はいい社会であるかのように見える。しかし同時に自由を尊重する社会に生きている人間は他者から侵食されていないゆえに自分の欲望だけしか持ちえない。自分より大切な他者を持つことが人間を人間にする唯一のものである。しかし個人主義社会は自分が自分ではなくなるような他者の存在を許さない。

そうして人の物語はなくなっていく。物語がなければ生きる意味もなくなる。お金を稼いでいいねを集めて承認欲求でブーストされ手段は問わずに有名になりたい歌が下手なアイドルが量産されてもそれを批判できない社会。

個人は客観性を持ちえないので簡単にメディアに煽動されてポピュリズムが台頭していく政治。

国家という仲間意識を持たないので利便性のみで利用サービスを決めてアマゾンに搾取される日本の経済。

いかに会社(個)の利益をあげるかしか考えていないから技能実習生を奴隷として扱う経営者。

 

この社会は個人が自由に生きていい社会である。しかし個人が尊重されるだけ他者にたいして不可侵になっていく。つまり他人から望まれない人々にとっては生きる意味がない。他者がいない限り人間が生きている意味もなければ物語もない。

この社会は生きづらいのではない。生きることが自由であるゆえに生きていることに意味がないのだ。