労働問題の本質的な問題って恥だと思うんですよね。
個人的なことは極力書かないようにしてるんですけど昔、大学時代に居酒屋でアルバイトしてた時になんでわざわざ就活して企業にはいって働かないといけないんだろうと単純に疑問に思ったことがあるんですよね。
当時、アルバイトで働いていて月収8万ぐらいで大学に行ってたんですけどお金に困ることはほとんどなかった。ゲームを買うのに躊躇するぐらいなもんでそれも不便だとは感じていませんでした。
バイトの先輩とかと週に1回飲みにいって仕事も楽しくやって金も必要なぶんだけあるし理想的な生活だったと思う。
当時、シェアハウスじゃないけど準社員の先輩の名義でみんなでお金を出し合って小さい部屋を借りてたもんだからそこで好きな時にみんな勝手に集まってゲームしたりマージャンしたり、集団として自立できていて楽しくやっていた。
しかしみんないつしかアルバイトをやめ就職して散り散りになっていく。単純になぜ就職しなければいけないのかと当時、疑問に思ったものだった。
なぜなら僕と僕の周りの人は完全に自立して楽しくやっていたからだ。居酒屋の社長が仮になくなったとしてもがんばって経営できるぐらいにはみな有能だった。
大人になれば就職するか、起業でもするか、主婦になるか、何か名前のつくものに属さなければいけなくなる。
しかしあの時、たしかに僕達は名前のない集団でうまくやっていけていたのだ。
立派という言葉がある。社長は立派だ、働いている大人は立派だ、やさしい人は立派だなどポジティブな意味合いが強いがポジティブな言葉には必ずその概念と不可分に強制力がついてくる。
立派でないと人間ではない、仕事していなければ大人ではない、車を運転できなければ人間じゃない(昔、親父に実際に言われた)などなど
そしてその能力や属性の不足に応じて恥という概念がまとわりついてくるようになる。
居酒屋の話に接続すればつまり大人になって就職しなければ恥だという概念が居酒屋で楽しくやっていた僕達を解散させたと言うことができます。
労働問題の本質も恥だと思うんですよね。
なんで仕事をやめられないのかといえば恥が怖いに集約されうるのではないかと思う。無職という恥、貯金を食いつぶしたすえに頼ることになるかもしれない生活保護という恥、恥、恥、恥・・・
ブラック企業は恥を人質に人間を奴隷扱いするが恥という言葉の裏を見ればそこには自立、正社員、貯金、仕事、社会参画などが蠢いているのがわかる。ポジティブな言葉達が悪意のない最悪の笑顔で人をひきつけ押し込んでいる。
まぁなんというかポジティブな言葉はその強さに応じて人を過剰に押し込むことがあると言いたいだけです。
夢、とかね・・・
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