メロンダウト

メロンについて考えるよ

白饅頭noteを一年間読んで

一年ぶりに言及されていたので私も一年ぶり?に言及してみようかと思います。

note.com

※リンク先記事は有料です

 

おそらくですが白饅頭氏は自分と同世代なんですよね。時代感覚として通底している部分がかなりあるように思う。どの記事だか忘れてしまったけど白饅頭氏は就活から逃げ出したことがあると書かれていた。就活そのものからなのか面接からなのかはわからないけど自分にも似た経験がある。弱く、センシティブで、何をして良いかわからない「狭間の世代」なんて呼ばれて、最も自由を「叫ばれた」世代だった。「何者かになる」なんてことが大真面目に言われ、個人でありながら共同的な存在感覚を持ちつつ、人材でもあり人間でもあり、孤独がかっこいいと言いながら孤独の意味など知らず、なにもかもが「生のまま」社会に放り出された世代。それが僕達だった。


自由に生きるべきと言われる一方大企業に就職することが勝ちであるという新旧の価値観の狭間に汲々とし、心のありかが定まらなかった。意識高い系や多様性なんて言葉が出てきたのも僕が学生時代のことだった。メンヘラなどが増えだしたのも僕達が初期の世代だったと思い返すことができる。なにもかもが自由という大義名分のもとに並列化された世界にあって若かった僕達はみなどうして良いかわからなかった。生のまま就活に望みそこで精神を病む人もいた。就活を契機に音信不通になった人もいる。自由が大事だと言いながらステレオタイプな就活論の狭間に、みな苦しんでいた。
軸足がどこにあるかさえよくわからないままみなが「両利きのフリ」をして自由と規律の二律性を守りながら、社会のどこかに居場所を見つけていった。今でもまあ若者なんてそんなものと言えばそんなものなのかもしれない。しかしあの時代、自由と規律はどちらともが独り歩きしていたように思う。狭間という流浪の世代、それが僕達だった。

白饅頭氏の記事にはそうした時代感覚が見え隠れする時がある。「狭間」という時代感覚があるからこそ、個人的にシンパシーを感じる部分があるのだ。彼は客観的には反リべ、反フェミニズムとして知られているけれどnoteの記事を読む限り、彼の核心は対外的には「市民感覚」であり、内心的には「狭間感覚」にあるのではないかと、個人的にはそのように思っている。
そうした狭間の感覚は一般に中庸と呼ばれるものだけれど、語義のままの中庸と狭間の感覚は似て非なる部分がある。中庸とは右も左も大切にしそのバランスを取るものだけれど、狭間感覚は右にも左にも与しないというある種の絶望を友としているような虚無性にある。はっきり言ってしまえば自由も規律もうんざりなのだと、僕はそう思っていた。白饅頭氏がどう思っているのかは、わからない。しかし彼の文章にはその豪気さとは裏腹に狭間的な繊細さが確かにあるように思うのだ。

 

こうした考えは思想的にはポストモダンと言って良いと思うけれど、あの時代は相対主義によりすべてが相対化された世界だった。オタクになることもヤンキーになることもできず、ジェネラルで適応的な振りをしながらその実、すべてにたいしアナーキーな態度も持っていた。
すべてを内面化しない相対主義の世界では、「極に振れる」ことが危険だということは知っていてもそれは中庸なんて代物ではなかった。ただ、みんな「どうして良いかわからなかった」のだ。
今のような多様性の時代でもなかった。オタクは気持ち悪いと言いながらサブカルを楽しんでいたり、ヤンキーがうざいと思いながら女性にモテる彼らが羨ましかったり、コミュニストの振りをしながら個人主義者でもあり、恋人が欲しいと言いながら恋人をつくるのが友人への裏切りのように思ったり、常に表と裏の両面を取り持つような両義性を抱えざるを得なかった。すべてが表としてカウントされる多様性の時代にあってはもうそういう感覚はないのかもしれない。聞くところによると今の若い人は反抗期すらない人が少なくないみたいだ。
あるいは前時代のような個性が共同体に組み込まれていた時代にもそんな両義性はなかったのかもしれない。ただ僕達は子供のころから表と裏の両面を考慮せざるを得なかった。そんな時代だったというだけの話である。
実際、個性を伸ばす教育が最初に行われた世代が僕達であり、同時にステレオタイプ詰め込み教育も残っていた。選択科目がはじまり土曜日が休みになったりと、今思い返せばあの時代の大人たちも子供をどう教育して良いかよくわかっていなかったのではないか。個性を伸ばすと言われても社会のほうに個性を受け入れるだけの体制がなく、終身雇用が続くとにわかに信じられていた当時の大人達にとって見れば個性とは世迷言に近いものだったのかもしれない。そんな中で子供たちに自由を教えていたのだから当の子供の精神が分裂し、メンヘラになってもまったく不思議ではなかった。分裂しなくともそこに「狭間」や「矛盾」を見つけるのは子供にとってみても容易だったのである。


その後、時代は変わり個性は人材へとその意味がシフトし、フリーで働く人もたくさん出てくるようになると個性と社会が連動しはじめ、個性を伸ばす教育もその「実」が収穫できるようになった。インターネットで稼げるようになったのも要因としては大きいように思う。
しかし僕達の時代の個性とはつまるところ「夢」とほとんど同じレベルの言葉でしかなく、その「夢」と現実的規律を交互に与えられ、そこで得られたのが「狭間感覚」だった。
そんな時代だったので当然ながらジェンダーロールも残っていた。男らしさや女らしさも普通に使われる言葉だった。パターナリスティックな男女規範も植え付けられ、同時に個人は自由だという、その矛盾をどうすればよいのか、子供だった自分にはよくわからなかったのだ。
いつの時代も若者なんてそんなものだと言えばそうなのかもしれないけれど、振り返るに僕達は最も強烈に「矛盾」を抱えた世代だったように思う。
そうした矛盾はたとえば尾崎豊の歌っていたような「若者特有の社会にたいする逆説としての自由」ではなく「真面目に教育された自由」であったのだ。

 

ところで白饅頭氏はよく「インターネットをやめるべきではないだろうか?」と書いている。枕詞のようにも見えるけれど、彼はけっこう本気でそう思っているのではないだろうか。

というのも僕達の狭間の感覚からすれば人間は自由にも規律にも「やられてしまう」ことがあるのだ。たぶん僕らの世代がそれを最もよく知っている。
自由が大事だと教えられステレオタイプな就活の空気にやられてしまった人。就活から離れ放蕩した人。何かを大事に思うことは何かを大事に思わないことと不可分であり、自由と規律の狭間で決断を下せるだけのディターミネーションを持つ人とそうでない人に分かれてしまった。意識高い系と呼ばれていた人もようするにディターミネーションに振りきれた人々だったのだ。もちろんそんな自由とかなんとかという抽象的な話など関係なく人生は続いていくわけだけれど、僕達が何に苦しんで、あるいは何に苦しむことすらできなかったのかは、ものすごく抽象的なものを含んでいたように思う。

こうした話は情報化社会とも関係していて、情報により自らを相対化させると軸足を失い、最終的に虚無に至ってしまう。このあたりが僕が白饅頭氏とすこし違う部分ではないかと考えている。
自由も規律も、右も左も、独身も既婚者も、すべての価値が並列だと教えられると「重力」が消えるのだ。正確に言えば重力を「消せる」と言ったほうが正しいかもしれない。世界にはいろんな人がいるんだというのは多様性のポジティブな側面であるが、それは逆に言えば世界と比すれば自分など取るにたらないものだという諦観をもつくることになる。カメラのレンズを絞るように、自らの存在が認識できなくなるまで情報世界を俯瞰すれば自分など存在しないも同然となる。

かつてそうした「逃走」を揶揄する言葉が「ネット弁慶」だったりしたわけだけど、今では現実とインターネットがシームレスになったため、スペクトラムが変わり問題にされなくなったのだろう。しかし厳に考えればネットの悪しき側面はいまだ僕達を捉えて離してはいない。今では逃走もまた自由に組み込まれただけだとも言えるのだ。
そうした構造から脱するには情報から離れ自分の生活や思想をロマン主義的に内面化するしか術がないのだろう。インターネットをやめるべきだという白饅頭氏の論もそこにかかっているように見える。彼の文章からは「どうあれ人には体験が必要だ」という「ロマン主義的な決断主義」が見え隠れするのだ。

もちろん自身の体験によって得たものを一面的に内面化すれば時に差別などの重大な問題を引き起こしかねない。しかしながら差別主義者は相対主義者よりもあるいは幸福なのではないだろうかと、そんなふうにすら思うことがある。
というのも体験は原理的に差別心を引き起こしかねないが、体験から離れた時、人は情報の狭間にやられてしまうからだ。情報によりすべてを理路で判断することは不可能なのだ。そもそも人の価値観とはそういう類のものではない。であるのならばはじめに体験を据え、そこで発生する差別すら肯定されてしかるべきだと、一方では言えるのだ。差別は否定されるべきなのではなく、肯定されてから批判され、修正されるべきなのであろう。そうでなければ体験を語ったり、あるいは恋愛することすらも差別的になりかねない。そうした「価値観をつくる人間本来の螺旋」をまるごとなくしてしまうのがキャンセルカルチャーの最も罪深い側面であるように思うけれど、脱線しそうなので割愛したい。

 

たとえば就活から逃げ出すように、僕達はなにかの狭間に窮した時、恋愛からも逃げ出すし、政治からも逃げ出せば、関係性そのものからも逃げ出すし、自由からも逃げ出す。パターナリスティックな社会が怖いのと同じように、自由な他者もまた怖いものであるからだ。社会的であろうとすれば自由が怖く、自由であろうとすれば社会が怖い。そのどちらでもある就活が怖いのは当然だったのではないかと、思い出すことができる。
しかしその怯懦こそが自由に振り切れた世界にあっては社会をつなぐ架け橋となるのではないかと、ものすごくポジティブに白饅頭氏のことを評するのであればそんなふうに思っている。

およそ今の若い人は自由で、リベラルだと思う。狭間は漸減し、自由が勝利したのだろう。それはとても良いことだ。みなが自由に生きて良い社会など、良いものに決まっている。みなが自由に生きてほしいと願う。自由を内面化し、飲み会の誘いをカジュアルに断れるような人は素晴らしい。しかしそうでない人々もいる。そうした人々への想像力、つまりは狭間感覚を「意にそぐわぬ形で得た」のが僕らだったのではないかと、今思えばそのように振り返ることができる。
まあそんな時代でひとくくりにまとめられるようなものではないけれど、仮に狭間感覚というやつがあるのならそれは社会が自由に振り切れた時の逆流弁逆流防止弁になるのではないかと、そんなことを思いながら書き、そしてそれを期待して読んでいるのが白饅頭日誌であったりするのである。