メロンダウト

メロンについて考えるよ

不健康で不潔で、道徳的な秩序ないアル中カラカラ

ニコニコ動画で主に料理動画(料理と言っていいのか定かではないですが)を配信しているアル中カラカラさん。現在更新停止中。半年前ぐらいに知って見ているのですがとても痛快な気分になる。

 

 なぜなんだろう。すべてがどうでもよくなるというか人生なんてこんなもんだよなとか脱力するような感覚を覚える。このブログではちーちーぱっぱ考えて語ってみてはいるものの生き方の軸足で言えばアル中カラカラさん側の人間なんだよね。私も。

どうでもいいことが世の中には多すぎると思ってるし実際どう生きようが誰の知ったこっちゃないし正しさなり思考なりは社会的条件みたいなもので社会なんて人生の一側面に過ぎなくて、だから自由を謳歌している(ように見える)アル中カラカラさんを見てると時に社会の側に立ちすぎてしまう自分を人生側に引き戻してくれるような、そんな感覚になる。僕たちはあまりにも社会人をやりすぎてるような、たぶん問題はそういうところにある気がする。自由とはつまり狂うことであるようなそんな気になる。

いわゆる「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」を僕達は生きなければいけない。しかし当然ながら僕達は元来個々の人間であって社会の一員としての側面とそうではない私人としての人生がある。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

 

公的存在としての人間、私的存在としての人間、そして動物的存在としての人間に分けられると思うけれどどうにも僕達は動物的に生きることが難しくなってしまった。たぶん歴史上でも類を見ないほどに動物的に生きることが難しい。それはシロクマさんの著書に書いてある通りだと思うけれどそれを解除するのがおそらくアル中カラカラさんのような「狂気」なのだなと。そんなことを思った。

 

動画を見てもらえば一瞬でわかると思うけれどはっきりと狂人なんですよね。アル中カラカラさんは。40度の角ハイと炭酸水を1リットルのジョッキに1:1で割って入れ一気に飲んでいるけど常人なら急性アルコール中毒になってもおかしくない飲み方で、だから絶対に真似してはいけないのだけど

そういう常識の埒の外にいる人は存在として痛快なんですよね。これだけいろいろなことを要請される社会でお酒の飲み方もある種の作法のようなものが求められる。そういう世の中でそれを完全に無視しているのを見ているのはアナーキズムに近く、自由とはつまりこういうことなのかもしれないとすこし深いことまで考えさせられる。

コメントで抗うつ作用があるとも書かれているけど実際あると思う。人生なんてなんでもいいんだよと直接言っているわけではないのだけどそう伝わってくる。もう一度人間として自由になるというか人生や思考をリセットするみたいなそういう作用がおそらくはある。うつ病だけでなく適応障害などもそうだと思うけれど社会との不和の結果としてそういう病気になることは理由として多分にあるわけでそういう社会観をリセットする薬として作用する効果はありそう。

 

 夢だとか愛だとか幸せだとか真面目だとか正しさだとかそういう諸々を追いかけてみんな奔走するけどそういうのは後付けに過ぎなくて本来の人間なんて酒飲んで狂って踊るだけの存在だよと、あまり真似したくはないけどそういう「原理的人間観」みたいなものを想起させてくれる存在としてとても癒されるのだと思う。

 

動画の内容的には癒されるような要素はなにひとつとしてなくてきったない畳の上でめちゃくちゃな料理をきったない咀嚼音をたてながら食べるというただそれだけの動画なのだけど、それが社会にたいする強烈なアンチテーゼになっているのだよね。逆説的というかなんというか健康で清潔な社会に我々が生きているからこそ不健康で不潔なものを見て癒されるのだと思う。

一言で言ってしまえば自然を見て癒されるのと似ている気がする。家の中のほうが快適なのに登山やキャンプに行って見る自然のほうが癒されたりする。

アル中カラカラさんも自然に近いのだよね。別の生き物を見ているようなそんな気がしている。山の中でタヌキが歩いているのを見つけた時のような感覚になる。動物と人間は全然違う生活をしているわけだけど僕達は動物を見た時に瞬時にそれが別の生き物だと判断して動物が自由に動き回るのを楽しむことができる。人間が人間を見る時はその限りではなく経験的な認識論の範疇で他人を判断してしまいがちでそうなるとたぶん自由が毀損されることになる。いかに自然な動物としての人間を取り戻すかとかそんなことを考えるようになった。

とても人間とは思えないアル中カラカラを見ていると。

 

以下面白かったのを貼っておきます。