メロンダウト

メロンについて考えるよ

「俺たちが無料で書く営みのなかには、もともと、かけがえのない何かが含まれていたのだと思う」ことができるのがすこし羨ましい

タイトルはシロクマさんの記事文中より引用させていただきました

p-shirokuma.hatenadiary.com

シロクマさんやphaさんがネット社会一番街の住人だとすれば私など末席も良いところではあるけれどブログ歴はそこそこ長いので「書くことがなくなった」にはすこし思うところがあります。このブログは一応5年ぐらい続いてはいるものの歴が長いわりに読者数も少ないし、ブロガーとしての実力がないのは痛いほど自覚しつつ、でもまあそういう評価とは離れた場所としてブログがあるのでそれもどうでもいいかなと思ったりします。そうしてのっぺりと続いてきたのがこのブログなのですが・・・

過去記事で書いたことがあると思いますが、このブログの前にも別のブログを書いていました。その前はmixiなども書いていたのでトータルするともう10年近くネットに駄文を投稿し続けていることになるのですが、それにしてもブログとはなんなのかと定期的に思うことがある。シロクマさんやphaさんは年齢を重ねてネットで発信するよりも身近な人とコミュニケーションをとるほうが大切だという戦慄があるのでしょうけど、私の場合はすこし違うんですよね。ネット社会一番街のブロガーであるphaさんやシロクマさんがそう感じているのとはまったく別のフェーズで、「書くことに意味があるのか」という虚無感が常にまとわりついている。「書くことがなくなった」というよりも書くことそのものにたいする無力感はブロガー界の末席にいる自分のような人間だからこそ感じるものでもあるのでしょう。それは前回記事でもすこし書いたことでもあります。なので「書くことがなくなった」と感じられるのがすこし羨ましくもあります。私もブログを長年続けている身ですからタイトルにさせていただいた「俺たちが無料で書く営みのなかには、もともと、かけがえのない何かが含まれていたのだと思う」という感覚は多少なり理解できるのですが、それでも書くことがなくなる境地にはまだ遠い。ネットで発信するモチベーションはまだ自分の中にあって、そしてそれが同時に評価されはしないだろうこともここ10年で充分に知っている。いわゆる承認欲求的なものをブログで満たそうとはあまり思っていないけれど、それにしても長年続ければ続けるほどに「書くことの無意味さ、無力さ」のようなことを感じてしまうわけで。phaさんのように書くことがなくなるまで書き続けられるのはすごく幸運なことでもあると思う。普通の人は経済効率的に続けられなかったり、現実での環境変化によって続けられなくなったり、僕みたいに自らの筆致の至らなさに無力感を感じてやめてしまう人もいる。いろいろな理由でブログからみんな離れていく。それはそれで個人の選択なので誰が何を言えることでもないけれど、phaさんのように書くことがなくなる境地にまで至れるのは傑物のそれであることは、せめても言わせてほしいとは思う。

 

とはいえ、まあ自分のブログに関して言えば個人的なことをいっさい書かない素人の評論ブログがネット社会一番街で華開くことは普通に考えてない。それを知らないほど馬鹿でもない。普通に個人的なことも書けばいいのだけれど、以前のブログで個人的なことを書いていたらいわゆるブログバレしてめんどくさいことになったので極力書かないようにしてるんですよね。以前のブログは個人的なことを詩的にかつネガティブに綴りながら今みたいに社会評論的にも書くみたいな感じで、ゆえん「古いインターネット」の使い方だった。普段は言わないような個人的な話も書いていて現実には言えないことを吐き出すブログだった。文体も改行の仕方も今とは全然違うのでたぶん見つけられはしないと思う。ブログ自体削除しているし。まあそんな過去の話はどうでもいいのですが、それにしてもブログを書くことってなんなんだろうと常に思ってはきたのである。

 

昔はそれが社会で生きるためのよすがみたいになっていたけれど、今のブログに関して言えばむしろ社会適応度を自ら下げに行っている気がしないでもない。政治的なことや社会的なことにたいして根底から疑義を呈するのは社会で生きるうえでは「痛い話」であるし、そんなことは知りつつもブログを書いている。5年間も。よくこんな孤独に書いてきたなと我ながら思うことがある。自分の適応度も下げて読んで楽しいわけでもない素人の政治評論を読んでくれる読者さんもすごいと思うよ実際。

まあでもそれがシロクマさんが言うところの「かけがえのない何か」なのかもしれない。自分が書きたい時に書ける場所があって一人でもそれを読んでくれる人がいて、現実にはまったく接点がない人でも繋がっていられる場所がインターネットの原風景なんですよね。そしてその原風景を最も純粋な形で発現できるのが無料で書くブログなのは間違いない。最近はネットの繋がりがネガティブに言われることが多く、SNSでの「連帯」などは警戒したほうが良いと言われていたりする。僕もそういうことを書く人ではある。

それでもなお純粋な意味でインターネットに何かを書き、それを発信するという行為は、或る人達にとってはなくてはならないもので、かけがえのないものなのでしょう。ひどく経験的にそう思うのであり、時に誇りにすら感じているのである。

 

※一読者の私信として

シロクマさんの文章はいつも楽しみにしているのでできることなら長いこと書いていただきたいです