メロンダウト

メロンについて考えるよ

回転寿司騒動と当事者への擬態

「バカッター」全盛期というと2013年らしくもう随分前のことなんだなと、歳を感じるこの頃です。当時の騒動を知らない中高生がまた同じことをやり始めたのが今回のスシローの件だと思うと隔世の感があってそっちのほうに驚いてしまいます。

 

大炎上してるので知らない人はいないと思いますが、一応、騒動になったニュースの動画リンクを貼っておきます。

www.youtube.com

 

 

動画ひとつで何かわかったりはしないけれど手を小刻みに動かしたりしてることから普通の子ではない印象を受ける。落着きがなく悪目立ちであっても人の注意をひきたいと考えいたずらしている点からしても未発達の子供であることは間違いなさそうだ。

個人的な判断としてはなんらかの診断名がつきそうな振る舞いをしていることに加え、しかも子供なので他人が口を出すことではないなと思うところではある。誰か周りに諭す人がいれば良いなぐらいの話だ。騒動の後、当人も反省し親御さんも対応しているみたいなので黒歴史として将来の思い出話にでもしてくれれば良いと思うばかりである。

個人的には、こういう未成年の悪ふざけはそこかしこで見かけてきたのでこの件についてだけ特別に何か思うところはない。馬鹿なことしてるなぐらいのものだ。

僕もそんなに育ちが良いほうではないので、似たような事例はけっこう見てきた。同級生が歩道にあったカラーコーンを道路上に投げたとか、深夜の駅に侵入し線路を横切って反対側に出るとか、小学校卒業時に埋めたタイムカプセルを勝手に掘り起こして変わりに学校で飼っていた鯉を埋めたとか、ファミレスのデザート無料券を盗難したとかそういう話は珍しいものではなかった。子供は子供なので善悪を判断する能力に乏しく、ゆえに少年法だったりがあると思うので、なんというかまあ大人になるまでに反省し成長してくれればそれで良いと思う。無論、人にたいして重大な危害を加えたり、いじめによって他の子供を死に追いやったりすることは別だが、回転寿司に唾をつけるぐらいの行為に関しては、あくまで個人的には許したいところではある。

 

しかし世間的にはやはり許しがたいみたいでこれ以上ないほどの爆炎をあげて炎上している。そしてこの手の炎上って結局のところ「当事者性の暴走」なんだろうなという思いを強くする。

 

というのもスシローの件について長谷川豊氏が言及したというニュース記事を見たのだが、炎上にたいして否定的な長谷川氏にたいしてこんなリプが送られてきたそうである。

長谷川豊氏の発言

もー ゲンコツ3発と皿磨き1週間くらいで許してあげなよー めんどくさい世の中だなー 相手、子供だろ

にたいしてのリプライ

何だかめちゃくちゃ他人事だから言えるんだろうなーと感じました。スシローさんの立場になったらとてもそんな事は言えない

長谷川豊氏が“スシロー騒動”に言及「めんどくさい世の中だなー 相手、子供だろ」持論連投で大炎上(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース

 

リプライのほう、ものすごい定型句だなという印象を受けてしまった。当事者として考えるべきだとはよく言われるし、その言葉には道徳性が伴っているように見えるけれど、まずもって僕達は「スシローさん」ではない。他人である。

なので他人として判断すべきである。今回の件に限らずなにかにつけ当事者の立場になって考えるべきだと盛んに言われるし、当事者に共感するほうが道徳的に正しいとされているがそれ自体がよくわからなかったりする。当事者というのは厄介で、全員が当事者の立場に立って考えるとかなりおかしなことになる。今回の件について言えば、当事者になって考えてみると、スシローと唾をつけた子供のどちらの立場をとるかという二項図式にしかならないが、そのような二項図式ではスシローのほうが被害者であることは明らかであるため、みながスシロー側にたって子供を責め立てるという事態になってしまう。つまるところ「当事者として考える」は「加害ー被害」という二項図式の外に出ることができないので現実に実装する道徳としては非対称性を招く点で不健全な代物だと言える。

被害者はその傷つけられた名誉・風評・信頼などが回復されるべきであるし、加害者は傷つけた代償を支払って然るべきであるが、ごく普通に言って他人は当事者ではない。スシローが回転寿司というビジネスモデルを揺るがしかねないものとして、いくら未成年であろうとも今回の件は看過できるものではないと考え損害賠償請求などを行うのは何も不思議なことではないが、他人がそれに共感しスシローの立場に立って考えることは道徳的とは言えないように思う。共感という反射的に湧き上がってくる感情が現実の利害関係を調整するには最も危険だったりするからだ。

 

 

「とはいえ回転寿司を安心して食べられなくなるからみんな当事者なのでは」という批判がきそうではあるけれど、それは勝手に不安に思っているだけではないだろうか。ああいういたずらをする子供は以前より格段に少なくなっているし分別を持っている子供は多くなっている。皆がマスクをしていることもあるため、潜在的なレベルでの「他人が唾をつけたお寿司を食べる可能性」はむしろ減っているのではないだろうか。皮肉にも今回の件でお寿司に唾をつける行為がとんでもない事態を招くことが全国的に周知されたこともあるので、実際に口にする可能性は限りなく低いものになった。消費者としてであれば事の顛末としてはもうそれで充分であろう。

 

 

おそらくこれからも当事者に擬態した人々が道徳性をかさにかけ猛威を振るう事態は起きてくる。今回の件もまた10年後には忘れられ新たな子供がまた同じことをするはずだ。その時にこそ「ガキが唾つけた寿司」ぐらいは他人事として処理されるよう願うばかりである。