増田によく書いていましたがこれからはブログに書いていきます
どーせ誰も見ちゃいないんでね、読者が集まってもめんどくさいのであんまりブックマークしてばずらせないでくださいね
ますだに帰っちゃうよっと
インターネットがずいぶんと市民権を得てきましたね
はてな界隈を覗くようになってから半年そこそこの新参者ですがおかげさまで時間の無駄・・・間違えた。いろんなブログを見るようになってしまいました
他者の人生や考えることに興味が尽きないのは人が他者との関係性の中に生きていく以上は絶対の本能なのでたまにザッピングして見ているんですがほとんどのブロガーと呼ばれる人達の文章はまるで成長していないように見えます
なぜか?なんで文章が成長しないのか?
そもそも文章ってなんなのか?
文章っていうのは単純なライティングであればセールスレターやビジネスメールや手紙の結び方や小論文の構成など単なる技術だけでなんとかなるものですがこと文章力という面において文章を書くこと自体は文章の練習にはほとんどならないんじゃないかというのが持論ですね
文学は弱者の剣っていうのはどこかの文豪の言葉ですが、人が言語化するっていうことは目の前に起きた事象や現実をできるだけ頭の中で理路整然にただそうという「営み」なんですよね
だから一般に弱いといわれる人ほど文章の重みが増すっていうのは弱さに向きあってきた時間が長いことで思考回路が複雑になっていてそれだけ自分を慰めうる言葉を持ってるから文章がうまい
転じて文章力があるとされるんですね
人生において失恋が大事な要因を占めているといわれるのも同じ理由ですね、失恋した瞬間になぜ?
なんで彼女は浮気したのか?自分に非があったのか?セックスはどうだった?さびしかったのかな?
必死で納得できる理由を探すために全速力で脳細胞を活性化させる、それはブログに文章を書くためでもなくますだをばずらせるためでもない
自分が自分であるため、自分を失わないように、自分を慰めるためにそうする
そうして会いたくて震える
僕は初めて失恋した時はミスチルのOVERを50回以上聞いていた
歌詞と現実の区別がつかなくなりそうになったところでやめた、統合失調症になりそうだった、字面だけ
インターネットという超安全地帯に生息している彼らは叩きのめされたり打ちのめされたり嗚咽するような出来事にはかなりであいにくいので胃が口から吐きでそうになるのを必死にこらえるための言葉の選び方をまるで学習できない
それで文章力では勝負にならないから人の目を引き付けるには人を挑発するしかなくなる
それはブロガーとはいうのかもしれないが文豪とは永遠に呼ばれなどしない