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メロンダウト

メロンについて考えるよ

日本SUGEEEEと日本批判が噛み合わない理由

エストニアから日本を批判する人がいる。May-romaさんとかも同じことをやっているのでけっこう典型的な態度ではあるようだ。僕自身も日本礼讃番組が増えたなと思う。先日もテレビ番組で日本のトイレの機能性、特にウォシュレットなどについて取り上げていた。YOUTUBEにも外国人が日本のトイレを撮影した動画が人気らしい。たしかにすごい。自動車産業や技術関係の技能などと産業立国として見れば日本はSUGEEEEEとなる。完璧に同意する。
 
それにたいしてエストニアの日本人留学生が批判を繰り広げていた。
うーん、けっこう暴論のように見えるが日本を批判すること自体は特段おかしなことと思わない。僕も好きじゃない面はあるし対して大好きな面も日本にはある。国家に関して好きか嫌いかというのはおそらくトイレがどうしたとか些末な事で判断して書いているわけではないのではと邪推してしまう。間違っていたら単なる勘違いなのでそれはそれでごめんなさいするとして、日本SUGEEEE勢がトイレのように物質的なものに論拠を寄せている。一方で日本を批判する勢が持つ根源の思想ってもっと精神的なものなんじゃないかと思う。
日本礼讃が嫌いなのではなく日本を礼讃しなければいけないような同質性だったりを嫌う。あるいは同調する自分自身の思考そのものが抱える矛盾を嫌うのではないだろうか。個人的にはその感覚はたいへん理解できる感覚ではある。日本は自由意志を「体現」するのが難しい国だ。建前では自由というが現実的に、精神的には自由を確保するには大変な胆力がいるように思う。
 
日本の空気そのものが嫌いという感覚は言語化しづらい。言論空間、特にインターネットにおいては文章に論理を要求されることがしばしばある。しかし日本が嫌いという感覚はそんな明文化されるような論理的な代物ではなく臓物で感じるような「気持ち悪さ」なんじゃないかと思う。だから論理的な説明やソースを出して語る種類の話ではないんじゃないかな。どれだけトイレが高度に進化しようとも日本が気持ち悪いというのは感性の話なので物質や論理で補完できるものではない。そんなことを念頭に日本観について書いていく。

日本的労働観

同調圧力が最も実際に生活にくいこんでくる場面は労働においてではないだろうか?近年になってブラック企業問題や残業の是非などは議論されるようになってきて国としても政策をたちあげようとしている。しかし戦後から変わることなく続いてきた労働観は時間的な評価に基づいて査定されてきた。仕事の能力よりもどれだけ頑張っているのかポーズを取った人の勝ちであったし今なお大勢としてはそうである。最高に生産性が高い人物であろうとも無口で黙々と作業をこなしさっさと帰っていたら評価されない。現実にいて飛影や流川は栄えないのである。だから労働環境において同調性は不可避の事態として受け入れざるを得ない。仕事の能力よりも同調競争が処世術になっているので生産性が低い。その評価の方法そのものが海外から見たらたいへんに気持ち悪いものに映るのは当然の見え方であるだろう。
 

日本的画一観

日本の価値観の画一性はかなり異常だと思う。オタクは気持ち悪いという価値観が一般的だった時代にはみなオタク批判してオタクが市民権を得てクールジャパンになったらオタク批判は痛い奴と烙印を押す。時代はうつろうなどと言ってしまえばそれまでであるが問題はオタクがどうこうではなく、その世論に見えるあまりにも統一された画一性こそが気持ち悪さの正体なのではないだろうか。その時々における言論的正義または常識的な価値観が持つ誘導力は日本ではかなり大きいように感じる。この画一性が抱えるもうひとつの問題は近代以前に画一性は(本などを見るかぎり)かなりポジティブに捉えられてきたように思う。三丁目の夕日だったりそれよりも前だと武士道や終身雇用に支えられた労働観もそうであるが日本的コミュニティーにおいて画一性は仲間同士をかなり強固に結びつける絆としての役割を帯びていたのでしょう。しかしこの画一性はグローバルな現代、特に都市部では毒に転ずるので忌避すべき価値観となった。生き方として村社会的に価値観をつなぎどれだけ強く同調してもその村だけで生きている限りは画一性は権威であるがグローバルな環境では画一性ではなく多様性で社会をまわす構造になっている。だから海外に留学などをして多様性を学ぶと転じて画一性が気持ち悪く見えてしまう。その気持ち悪さが日本を批判する行動に結びついてブログなどを書く。画一性も多様性も生き方としてどちらも間違っていないのに・・・
 

日本的資本主義

ニートは笑わない。僕もエストニアではないけど留学したことがあってそこで現地のニートの人達とよくサッカーして遊んでた。彼らはみな就職活動などしないでひがな一日中、小学生のようにずっとサッカーしてた。生活はどうしているのかと聞けばニートサッカークラブにはスポンサーのような人がいてそこでみんなフラットメイトとして遊んで暮らしているんだそうだ。そこにたまたま僕も参加したのだが彼らはみな、けっこう笑う。日本のニートは悲観的すぎるように思う。そしてそれは資本主義的価値観によってもたらされた悲壮感なんじゃないだろうか。僕もニートをしてたことがあるんだけど昼間に散歩にいくだけで居場所の悪さみたいなものを感じるし酒を飲むのもすこし躊躇うようなそんな幽霊に権利を全て取り上げられたような「感覚」がある。社会への責任感といえば聞こえはいいけどよくよく考えてみれば社会はたまたま無職になった人の悲劇などおかまいなしにどうあれ回るので実際的に困るのは経済的な問題にすぎない。しかしなにか働いていないことは悪いように感じていた。資本主義は資本主義でしかないのにそこに精神的な問題までつながれている。金を持っている人間の態度はでかいしニートは笑わないような「画一化された資本主義的価値観」は日本では強烈だ。だから経済的な理由での自殺者が異常に多い。みんなで自己破産してサッカーしよう。
 

日本的夢想観

高度経済成長で育まれた上昇価値観に夢という概念がある。みな夢を見る。それがなにであるかは関係なく教育現場でも夢は非常にポジティブな意味で捉えられている。夢はポジティブなのは揺るがない。それは断じて揺るがないがしかしそれにしても夢を成功させた人物に権威を与えすぎだろうと思う。つまり日本人は夢をつかんだ人間に人間の理想像を見る。テレビ番組だったりありとあらゆるところで夢人間を散見するが夢ゆめいいすぎだろ、うるさいよいいかげんにしろとしばしば思うことがある。夢はポジティブだが権威を与える必要はないと個人的には思っている。ルート配送のドライバーやコンビニのレジを打っている人のほうがはるかに生活に根差し有り難い人達である。人間の理想像なんてないし仮に啓蒙するならもっと土着的なものにすべき。メディアや教育の夢想観や特殊な人間ばかりを礼賛する空気は気持ち悪いと感じることはある。
 

まとめ

物質や治安なんかの側面からみると日本、東京は世界一でしょう。しかし精神的にはねばねばしている面もやはりある。
いろいろあげたけど時代交差や世代闘争とかセックス観とか時間論とか日本の気持ち悪さは他にもありそう。けれど精神的な面で上記は特に日本の焦燥感や急進性をつくる元凶として大きいように思う。日本SUGEEEEEじゃなくて日本おえ~~~な側面もたしかにある。しかしそれを差し引いても日本はやっぱり、SUGEEEEEEEEEEEEEでしょ。
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