僕自身はサプライズとか大嫌いな人間でフラッシュモブ自体にもあまり良い印象を抱いていない。
相手を祝福と歓喜の雰囲気にまきこんで承服させようとするのはブラック企業のサビ残に似たものがある。みんな残業しているから仕事を終わらせても帰りにくいみたいな善意の強制は時に残酷だ。
だからフラッシュモブ自体が独善的であるし、ましてや永遠の愛を誓う絶対的な相関で成り立つ結婚式という舞台で披露するのははっきり言っておこがましいものだと僕も、そう思う。
しかし、しかしながら、それにしても、そんなに許せないものなのか???離婚を決意するほどに
これはフラッシュモブが嫌いか好きかなんていう問題ではないように感じている。時に決定的に誤る人間にどう付き合っていくかという問題であってフラッシュモブが嫌いか好きかなんてほとんど関係ないのではないのか。
どんなに好きな人間でもどこかしら幻滅するような側面は絶対に持っている。人それぞれ尊敬する人がいるだろうが彼ら彼女らにも必ず嫌な側面がある。神様みたいな高潔な人なんかどこにもいない。人間関係が軋轢と許容の連続でなんとかすり合わせていくものなのだからそんな「フラッシュモブごとき」で幻滅するなんて今までどんな温室で生きてきたのだろうか?
もしくは嫌な側面を見つけた瞬間から相手とコミュニケーションを遮断してきたのだろうか?だとしたら相当に幼稚だと言わざるをえない。好きと嫌いは同居するし尊敬と幻滅も同居することを質問者は知ったほうがいいのではないだろうか・・・
だから僕は振られた新郎のほうに同情せざるを得ない。フラッシュモブが嫌いな人に結婚式でやってしまうのは手痛い失敗だったのだろう。しかしそうして失敗して試行錯誤して相手と終始折り合っていくのが付き合っていくということなのだろう。だから今回は失敗だった、けどまたひとつ彼女のことがわかったから良かった、で全て済む話である。人間関係は趣味嗜好好悪よりも相手を知ろうとする姿勢の問題なのだから失敗することはむしろ良い事だ。
そうして生活するうちにどうしても、もうどんなに相手のことを認めようと努力しても折り合えないという時に離婚したり別れたりするものだと思っていたのだが質問者は違うらしい。
フラッシュモブごときで離婚である。
そんなピーキーな価値観で生きているのであればフラッシュモブ事件がなくても、無職になった瞬間に離婚だろう。借金したら離婚。EDになったら離婚。いかなる愚行も許さない状態になるので離婚して正解なのかもしれない。
フラッシュモブ自体は独善的であるが、フラッシュモブごときで離婚するほうがはるかに独裁的である。