メロンダウト

メロンについて考えるよ

やがて悲しきおじさんLINE

ミソジニーってなんなんだろうとすもも氏の記事を読みながら思っていた。

相変わらずはてなでは袋叩きにされているすもも氏だけれど、彼の言わんとしていることはわからないでもない。一言でいえば「男はつらいよ」であり、それを実証的に論じようとしているが、はてなでは恣意的だというふうに叩かれているみたい。しかし僕はけっこうすもも氏の言っていることがわかってしまうんですよね。

僕はミソジニーは一定程度正しいとすら思っている。

https://note.mu/sumomodane/n/n514814103a9e

 

男性の純粋な男性性は原理的に社会性を帯びていない。承認されにくい。男性のモテる要素を考えればわかるがほとんどが後天的に獲得したすえにモテるという結果がついてくる。一部、超イケメンで生まれながらにモテるみたいな人もいるけれどそれは特殊なケースと言っていいだろう。学歴も職業もお金も地位も人間関係も後天的な要素だといえる。「男性」であることは男性にとってアドバンテージにならない。

それが最も根源的な男女における恋愛格差を形づくる要素だとすもも氏は言いたいのだろう。

女性は処女であることにも価値がある。女子大生や女子高生のように社会的には弱い存在だとしても性的にはむしろ強いみたいな逆転現象が起きる。社会的に弱いことでむしろ求められるのは女性特有のものだろう。

男性の場合、童貞はネタ的に消費されることはあってもそれがモテる要素になるかというとそうではない。また、あか抜けていないで会話もしどろもどろになってしまうような男性も女性からは敬遠されがちである。

だから恋愛経験のない男性にたいしてはよく「とりあえず誰でもいいから彼女をつくれ」、童貞にたいして「とりあえずソープに行って童貞を捨ててこい」などというアドバイスがされる。女性に置き換えたらこれらのアドバイスがどれだけ暴力的かと考えてしまうが男性に関してはむしろ有効に機能することがある。

男性がモテる要素はすべてが経験に裏付けされている「状態」のことを言うのであって男性であることに価値などない。女性の場合はそうではない。女性であること自体に価値がある。

 

 

そうした男女における性的な視線を分解することで社会的な議論とするのは僕はかなり大事なことであると思う。恋愛は現実にそれほど個人の物語に依拠しているわけではない。昔はヤンキーがモテていた。それが社会的に承認されなくなると途端に恋愛対象から除外されたように女性の視点もそこまで何か理性的で普遍性のあるものではなく、むしろ社会的な文脈に依存していると考えるのが妥当だろう。

今はその文脈が経済的価値になっているというだけの話にも見える。

 

その意味ですもも氏がやろうとしていることには一定の社会的価値があると僕は思っている。現在の男性の現状を分析することで恋愛市場にける社会的文脈を構築することは公益に資することとすら言える。恋愛する人が増えれば少子化も解消する。少子化が解消すれば経済も回復するかもしれない。

すもも氏の記事のコメントに恋愛は個人でするもので一人だけ特殊な人がいればいいというものがあったが、恋愛を個人の問題にするのはその人の人生において正しいだけであって反論にはなっていない。

 

今、恋愛市場において何が最も大きな問題になっているかと言えば

人格の飽和

時代のズレ

個人主義

の三つだと考えられる。

 

女性は経済的価値基準で男性を選ぶ傾向があるのは様々な統計からわかっていることだが、これだけ経済的な価値が至上とされるのはなぜなんだろうと思う。

経済的な価値などよおく考えればどうでもいいことのようにすら思うからだ。愛する人と二人で食べて寝て一緒に暮らしていければそれでかまわないというのであれば、二人とも非正規であってもそれなりになんとかなる。余裕のある暮らしとは言えないだろうけれど、非正規の一人暮らしのように困窮するわけではない。

それでも経済的価値に重きを置いて考えるのは人格による格差がなくなっているからだと考えられる。この人は優しいからとかこの人は誠実だとかいうのは建前として言われることはあっても、誠実なんてことを言い出したらだいたいの人間は誠実である。80%ぐらいは誠実で90%は優しくて99%は暴力を振るわないし99.9%は犯罪をしない。みんなある程度以上、理性的に暮らしているし会話がうまくなかったりすることはあっても人格として社会的に不適合だという人間はそんなにいない。

そんなにいないので恋愛対象を判別する時に指針としては機能しない。

だから残る指針は男性が女性を見る時には性的なものとなり、女性が男性を見る時には経済的価値になる。

 

 

それと連動して問題となっているのが経済的価値が時代とズレていることだろう。

言わずもがな日本経済は衰退した。経済大国としての日本はもうない。20年近くデフレが続いてきた。今の20代30代はバブル期の日本が豊かだった時を生きていた世代を親に持つ人ばかりだが、その時代の感覚で経済的価値を査定していると考えられる。もうバブルのように中流階級がマジョリティーを占めていてみんなが豊かだった時代ではない。格差がひろがり非正規が増加した現在では過去の中流はいまや富裕層と言っていいが、当時の視線のまま経済的価値を査定しているのでその条件を満たす男性がいない。それゆえその条件を満たす富裕層に女性の需要が集中して一般的な男性は求められない。

 

人格の差異を認識できるほど荒い世の中でもない。経済的価値は全体のパイが減っている上に色眼鏡をかけて査定してしまっている。だから「普通の男」は求められない。

 

上述したような環境なので男性からアプローチするしかないわけだが社会人になるとそれもセクハラだったり告ハラとか言われて袋小路になる。だからみんな恋愛をしない。しかもそれに個人主義という大義名分までついてくる。世の中のお墨付きで独身でもいいってことになっているのだからますます恋愛しない。

偶然に物語が降ってこないでもない限りもう社会人男性は恋愛などしない。そうこうしているうちに過去の恋愛で獲得してきた経験も色あせていって女性からは求められなくなる。どうしていいかわからなくなるが心の奥底では何かが泣いている。そういう時期も過ぎればもうどうでもよくなるが無性にセックスだけしたくなる。

しかしそう思った時には過去の恋愛経験が無意味になって純粋な男性性に回帰しているのでおじさんLINEを散弾銃のようにぶっぱなす。

きもい。なにあのLINE。おじさんきもい。無視しよ。なんで返信こないの。これだから最近の女は。女はだいたい自分が求められる側だと思ってる。返信ぐらい返せよ。

立派なミソジニーの出来上がりである。