メロンダウト

メロンについて考えるよ

コロナよりもコロナ後の世界のほうが怖い

5ちゃんねるにひきこもり大勝利といったスレッドがたっていた。確かにずっとひきこもっていればウィルスにかかることもなく危険もない。この手の議論は以前からあった。リスクを取るやつは馬鹿だといって冷笑する5ちゃん作法は今に始まったことでもない。海外旅行に行って危険な目に遭った人にたいしてなんでそんな国に行くのか、バイクは死亡率が高く乗っている人は馬鹿だ、恋人なんてつくらないほうがいい、結婚するのもリスクがありすぎるなどゼロリスク信仰とでも言うべき言説は無限に出てくる。これらゼロリスクが極まったものに反出生主義がある。人間は産まれてこなければあらゆる苦痛を感じることもなくリスクをとる必要もないので出産は悪行だといったものだ。

僕達のほとんどは反出生主義には反対するだろう。論理的に説明できる理由などないが子孫を残したいこと、誰かと愛し合いたいことはほとんど本能に近いものだからだ。だから僕達は本能的な感情で反出生主義に反論することを許されている。そしてそちらのほうが多数派だ。

しかしこのリスクと感情的行動のバランスがどこで線引きされているのかというと実際のところかなり曖昧である。反出生主義は極端すぎていまは論ずるに値しない。しかしもっと日常に近い例で考えるとゼロリスク信仰は社会のあらゆるところに侵食している。そしてそれが社会を壊しかねないという兆候はすでに見えている。

たとえば公園で子供が野球などして遊んでいるのは子供が道路に飛び出したり球が近隣の家に当たったりすることから禁止された。結果的にいま、子供が自由に遊べるのは大きな公園や運動場だけになっていて小さな公園から子供の姿は消えた。空地なども法的な弾力性がなくなりルールを過度に守る社会規範のためか使用されているのをここ数年見たことがない。以前は子供は外で遊ぶもの、子供が外で遊びたいという感情がリスクおよび社会規範よりも上位にきていた。あるいは「そういうものだ」という社会的な合意があった。それがいつのまにかリスクだという声に侵食された。

このような例は他にもあり、ホームレスが路上で寝ていることもなくなったり、テレビ番組がコンプライアンスに縛られるようになったり、企業においてもハラスメントを回避するようになった。もちろんこれらはいいことでもある。ただ少なくとも自由からは遠い。ハラスメントは駄目といって上司が部下を口説いてはいけないというルールは自由恋愛からは遠い。そしてなによりもこれらのリスクが周知され社会規範として定着したあとにそれが元に戻ることは絶対にないということである。

 

それは新型コロナウィルスに関しても言える。コロナウィルスは爆発的な感染力を持って人体に感染する。ありとあらゆる接触により感染することから欧米をはじめ外出禁止令が出されているし社会的距離をとるように促されている。人との接触を避けるように世界全体がなっているなかこれはいつまで続くのか、そしてなによりも続いた後にどうなるのかが怖くてしょうがない。

新型のため全世界で免疫を持っている人がいない現在では爆発的な感染力を持っているがこれがインフルエンザのように定着してA型やB型など変異を繰り返すことで恒久的なウィルスとして定着した場合、僕達はどの段階で人に感染させてもいいから人に会いたいという感情を取るようにできるのだろうか。

新型コロナウィルスは潜伏期間が長く無症状の人もいるため全員が媒介者となりうる。ゆえに全員がリスク要因となる。ワクチンができてもそれは変わらないだろう。全人類が免疫を持つかウィルスを封じ込めるかしかないが封じ込めは猫や虎にも感染が確認されていることから難しい。仮にインフルエンザのように変異を繰り返した場合、インフルエンザのように共生していくしかなくなるわけであるが問題は僕達がいまこうしてゼロリスクで生活しているのを「記憶していること」である。

インフルエンザでも毎年何万人と亡くなっているがそれは昔の公園の状態に近い。子供は公園で遊ぶものだと思っていたのと同じようにインフルエンザはあるものだと思ってリスクを許容しながら生きている。しかしコロナウィルスに関しては違う。コロナウィルスを人にうつしてはならない、無症状でも自分が感染者かもしれないという記憶はいつまでも残り続ける。であるのなら人と接触することは常にリスクであり社会的なマナーとして人と会う時は距離をとるかマスクをつけるか・・・あるいは人と会わないほうがいいのではないか、となる。人と会わないのは極端だが人との距離をとるべきだというマナーは頭の片隅に残り続けるだろう。

 

そこで忘れてはいけないことは僕達がいま自粛しているのは医療崩壊を防ぐためだという目的意識である。それを強く意識すべきだと思う。「ウィルスをうつしてはならない」という意識だけでいればコロナ後の世界が壊れてしまうだろう。ウィルスをうつしてはいけないはそれはそうだがそんなゼロリスクで生きれるほど僕達は論理的にできてはいない。いまこうして自粛しているのは「医療崩壊をおこさないために暫定的措置として絶対に他人にウィルスをうつしてはいけないのと同じく自分もかかってはいけない」が目的である。

処置できない患者が増えると死亡率があがる。それが、いやそれだけが問題である。ウィルスがでてきたのはしょうがない。変異するかどうか共生するようになるのかわからないがそれによって僕達の関係性を毀損してはいけない。ゼロリスクにはならない。してはいけない。なぜなら僕は公園で遊べなくなった子供のことを不幸だと思うからだ。また公園で遊ぶそのためにいまこの瞬間の目的意識の確認とコロナを忘れる準備をすべきだと、そんなことを思う。