メロンダウト

メロンについて考えるよ

叩かれててへこんだので補足的に

前回の記事がひさしぶりにはてブに載ってると思って見たら叩かれててへこんでしまった。しばらくブコメを非表示にします。けれどブログ上では長年の知己のfnoithunderさんがレッドスターつけてくれててすこし慰められた。ありがとう。届く人に届けばもうそれでいいのだよな、と思う一方、批判されてることにも向き合おうと思いすこし補足的に記事を書いていきます。
なんか久しぶりだなこの言い訳じみたエントリーを書くのは。昔はよく書いてた。懐かしい。
 
批判されていた点として地域差別、ミソジニー擁護、なにもしないで暮らしている普通の人にたいして失礼、さらには犯罪擁護といったものまであった。
 
もう随分前からわかってはいたものの、いわゆるはてサと呼ばれる人達とは世界観が違うんだろうなと思ってしまった。
足立区は綺麗な街ではない=汚い=悪い=差別という考えの人が地域差別とコメントしていたのだろうけれど、私は汚い街が悪い街という観念を持っていないんですよね。汚いが言葉としてきついのであれば雑然性と言い換えたほうが良かったかもしれないけれど足立区のような雑然とした街のほうがむしろ良い街だと個人的には思っていて逆に綺麗すぎる街や汚なすぎる街は住みやすさという観点から見ればあまりよい街とは思っていない。汚なすぎる街は治安的に不安を感じるし綺麗すぎる街は人への包摂性がない感じを受ける。
汚いという表現自体が差別表現と言うのであれば確かに差別的ではあったと思う。なので差別として読まれてしまったとすれば自分の文章の至らなさの所為であり、反省です。ただ、足立区は「汚さ=雑然性」が残った良い街というのが私の認識だったという点だけは書いておきたい。
 
次にミソジニーを擁護しているという点について。
擁護してます。部分的にではありますが。
ミソジニーというと女性差別と認識されるけれど個人的には業に近いものだと思っていてリベラル社会の裏に発生するひずみだという認識がある。ミソジニー女性差別的な側面を持っていることは否定し難いものがあるし事実そうなのだろうけれど、良い悪いと判断する前に考えるべきことがあるのではないだろうかとどうしても思ってしまう。アンチマンの主人公である溝口もたとえば地域共同体が残っている社会で暮らしていればひとりで父の介護をするような事態にはならなかったはずだと考えてしまう。共同体ではなく友人や同僚でもかまわないけれど、溝口があのような行動に出る前に彼のミソジニーを信頼しうる(ミソジニーを聞いてくれる)友人・同僚・ネット上の知り合い・共同体に相談できていればあのような結果にならなかったと、そのように読めてしまった。
誰かに悩みを聞いてもらうことで楽になるというごく一般的な話であるのだが、社会(の空気)がミソジニーの断片すら拒否するようになれば話を聞いてもらうことすらできなくなる。そして結果的にミソジニーが最悪の形へと「極まってしまう」ことになる。その前にミソジニーを吐露する必要がある。そのため(何もしないため・ミソジニーを封じるため)にはミソジニーを自然な感情として部分的に認める必要が聞き手側のほうにあるというのが自分の考えです。ミソジニーの結果=実加害を抑制するためにミソジニーという考えを容認すべきということです。
加害と内心は違う。けれど地続きではある。なので加害へと至る前に内心を吐き出す必要がある。そのためにはミソジニーを受け取る誰かが必要ということが言えると思います。
誰かの恥部や悪心を受け取れる人のほうが結果的には加害を抑制することに貢献しているというのが自分の経験則で、逆に言えばミソジニーのような差別心の吐露を許さないような人は溝口のような個人を内心へ押し込んでいる。それが反差別を喧伝するリベラルの欺瞞であるというのが自分の認識です。差別に反対することだけが差別を抑制するということはないと思います。差別心を聞きそれを包摂し時に諭すような保守的共同体にだって差別を抑制する機能はある。
 
 
次に何もしないで暮らしている人に失礼という点について
上に書いたことにも繋がるけれど何もしないで暮らしているように見える人が何も考えていないなんてことはないんじゃないかな。何もしていなくても心の奥底では渦巻いているものがあると考えるべきで、お互いがそう考えていれば上に書いたような「ミソジニーのような恥部を吐露しうる関係性」が築けてそれが何もしないことに繋がるはず。何もしない人を奨励するのはむしろ危険だと思う。大人しい子供を大人しいと誉めそやすと成長した時に人の顔色を伺い過ぎる大人しい大人になることと同じで、大人しい人の大人しさ=何もしないことを誉めることには明らかに弊害がある。大事なのは誰かが何かをした時にそれを汲み取ることであるし、もっと大事なのは誰かが何かをする前にその話を聞いてやることだと思います。ものすごく普通のことだけど。
 
 
犯罪者擁護という点について
さすがに犯罪を擁護はしていませんので完全な誤読です。ここは匿名ブログなので何を書かれてもかまわないですが実名で書いている方に同じようなこと書くと悪質なデマとして訴えられかねないのでやめたほうが良いと思います。
 
 
昔であれば叩かれた時にイライラしていたのですが、長年書いていると自分の文章の至らなさとそれが多くの人に読まれた時の顛末がある程度腑に落ちるようになってきました。確かに論理的とは言えない文章だし、無謀にもセンシティブなことに切り込むことが多いので伝わらないのもしょうがないよなと半分諦めています。
ただ、伝わる人に伝わればもうそれでいいのですよね。何を書くかよりもわけのわからない文章でも聞いてくれる(読んでくれる)人がいることがブログを書くことの何よりの財産ですし。なので死ぬ直前ぐらいにOFF会でもしましょう。また書きます。