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民進党にビジョンがないのではなく日本国民にはビジョンがない

選挙が始まるということで政治関連の話を続けて書いていきます。投票の参考にしていただければ幸いです。

民進党は党名変更前の民主党時代からビジョンがないといった批判をされてきました。森友問題をはじめ自民党を批判することだけを目的とし政策議論にはならず果てには国会を空回りさせつづけているといった批判も目にします。

自民党に対して提示できるビジョンや政策がない現状では民進党野党第一党として対抗する勢力にはなっていません。事実上、自民党の一党支配といった様相を呈している現在の政局ですね。

 

この手の民進党にビジョンがないといった批判を見て常に感じることは党を支持し票を投じる国民のほうにビジョンはあるのかということです。いうまでもなく民主主義は代議制であり民進党は国民を代表しているだけです。

 

たとえば経済大国としての覇権を取り戻すため財政出動法人税を下げ中国やインドなどの勢いがある国に負けない経済力を日本も取り戻そう。といった話は経団連など一部の団体や個人が言っていますが多くの国民は経済問題とは貧困問題のほうを向いていて国家戦力的な経済政策のようなものにはまるで関心を示していないように見えます。ましてや日本をより良い国にするために頑張って働こうなどと言う人は皆無だと言えるでしょう。

経済的に強い国家になろうというビジョンは国民全体で見ているわけではありません。

 

ではたとえば外国人観光客が増えているので観光立国として日本の文化伝統を発信していこうはどうかといえば

観光は国民の生活レベルにおけるビジョンとは言えないと考えます。観光価値とはつまり客観的評価であって国民が主体的に見る主観的なビジョンと言うことは難しいと考えられます。

 

すこし前まではたとえば昭和の貞操観念や車、マイホーム、新3種の神器などがビジョンとして数えられたのでしょう。いい生活をするためにみんな頑張って働くこともビジョンだと言えます。しかし国民全員が等しく持つビジョンはいまこの時代においては、ない。

 

ビジョンとはつまり欲望と言い換えても良いですが社会階層が多様化し都市集約型の経済モデルが席巻すると高度経済成長時に多数いた中間階層は分断されました。

経済的な条件が違えば共有するビジョンも違ってきます。たとえば富裕層は車を当たり前に乗り、かたや貧困層は車など事故のリスクがあってと犬儒冷笑する。

頑張って車を購入してローンを払っていくインセンティブが存在する中間層の絶滅がそのままビジョンの絶滅ということもできるでしょう。

つまりこれだけ多様化すると経済的なビジョンは国民の中でバラバラに発散しているので国政政党の政策として提示できる具体的な経済政策がない。株価ぐらいでしょう。ゆえに民進党は株価を上げている自民党にたいして経済政策の代案を提示しえないと考えることができます。

 

思想的な話にすると

アメリカではビジョンとして反人種主義が掲げられています。それはヨーロッパでも同様で経済的な困難を無視してでも移民を受け入れていることでその理想は証明されています。移民問題についてはトランプやBrexitなど現実の利害関係により対立することがありますがしかし対立を乗り越えることを国民全体が思想的なビジョンとして共有してはいます。思想というか人間像と言い換えてもいいかもしれません。

 

理想的人間像などと書くとこれだけで批判が飛んできそうですがしかし日本にもたしかに理想的かどうかわかりませんが目指すべき人間像はありました。

上の経済的な話とも繋がりますがたとえば男はサラリーマンで頑張って働いてマイホームを購入して女性は家にはいって家事をこなし働く夫を支えるのもひとつの人間モデル、家庭モデルだと言えます。

しかしこのモデルをそのままビジョンとして共有しようというとフェミニスト界隈から批判されることは間違いありません。女性の働く権利や男女同権などの理念からはずれ暴力だと言われます。ジェンダー問題で言えば同様に以前は強固に共有されていた貞操観念も女性の性の自由から批判されます。

 

男性の理想像というものも現在では存在しません。みんなでローラースケートを掃くこともみんなで寅さんやキムタクになりたいと思うこともなくなりました。

またタバコを吸うことが大人の証であるといったビジョンも消えました。タバコも今では批判されますがタバコが害であることとは別にタバコを媒介として共有していたビジョンはたしかにあった。

大真面目な話、いまこの国で最も強固に共有されているビジョンは不倫をしないことだけなんですよね。多様性のもとにほとんどなんでもありな個人がバラバラに生きています。

 

アメリカやヨーロッパも多様化の国ですが諸外国ではキリスト教によって人々が共有する倫理、ビジョンがあります。それはインドの仏教ヒンドゥー教や中東のイスラム教などもそうです。多様化によりなんでもありになった時に人間に生きる理由を与えてくれるのが宗教による重力なんですが日本では宗教も生活レベルにおいては一般的ではありません。

 

政治家の立場から見るとこのビジョンも宗教も欲望もない国民は相当にやっかいな人々のようにうつると思います。みんな何をしたいのか、何をほしいのか、何を大切に思っているのか共有するものが全くない。まったくです。まったくない。

グランドビジョンの致命的な欠落が投票するわれわれ国民の側の問題としてまず在る、のだと民進党を批判する前に認識すべきだと言えるでしょう

 

追記

インドは仏教ではなくヒンドゥー教が多数派みたいですね。赤っ恥でした。恥ずかしながら訂正させていただきます。ご指摘いただきありがとうございます。

民進党にビジョンがないのではなく日本国民にはビジョンがない - メロンダウト

「インドの仏教」で台無し。

2017/09/25 09:19

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