結婚と少子化と賃金と男女差別を縦断して論じているすもも氏の記事に関して
https://note.mu/sumomodane/n/nda55d2cf494e
すもも氏の記事だけではなく少子化や結婚に関して書かれている記事を読むと社会学的、経済学的に分析してこうこうこういう状況があるから結婚しないんだと論じられている。マクロな分析は大事だと思う一方で結婚とか恋愛ってそんなマクロで語ることができる話なのかなあといった違和感を抱く。
統計的な分析は結果から原因を推測して対策をたてようという手法だ。結婚や少子化に関して言えば既婚者と独身の属性を比較すると子供を産まないのはお金がないから、結婚しないのは年収が低いから、学歴が低いからだといった原因が見つかる。
だからそこにリソースを投入しようといった議論が繰り返される。みんな生活に余裕ができて子供を将来的に安心して育てられるような社会になれば結婚するんだと思っている。もちろんそれも結婚を決断するのに必要な要因である。しかし本当にみんな経済的な理由だけで結婚しなくなったのだろうか。身体的な違和感を覚える。「お金がないから結婚しない」は言説としてなにか足りないと思うのだ。
経済的な理由だけで言えば子供を持つのは別として2人で生活したほうが(年収が低ければ低いほど)楽になるはずである。法的な扶助が受けられることもある。低学歴低年収の人ほど結婚したほうがいい。なのになぜか上流層はお金があるから結婚できるんだとみんな考えている。しかし結婚する動機付けとしては「お金がない」ほうがインセンティブとして働くはずである。お金が必要になる場面とは子育てに関してのみであり、本来的な意味では恋愛や結婚を阻むものではないはずだ。
今の恋愛市場におけるお金はステータスとして機能していてそのステータスを持った相手をパートナーに選ぶ人が多い。しかしそれは誰がいい男か女か「相手を選択」するものであって自分自身が恋愛を始めない理由にはならないはずである。パートナーを探す動機付けとしてはお金はなければないほどむしろいいはずである。
などと書いているけれどそう思うことができるのはかっこつきで(動物的)なものである。僕達は人間なのでそういう収入の多寡に関する相手からの社会的な評価を内面化するようにできている。
今、少子化において問題となっているのはその内面化に他ならないように思う。容姿がいい女性(現代では顔が整っていてやせ型)を選ぶことも歴史的に見れば他者からの評価に依存して男性は選択してきた。お金に関してもそうなのだろう。お金があるかないかで自分自身の評価を無意識に査定してしまってその劣等感ゆえにパートナーを探さないという「人間」がいるのだと思う。僕個人にもそういう感覚を持った経験はある。
そういう他者からの評価を自分自身で内面化する傾向というのは日本人は特に強いのではないかと感じている。日本ではよく「相手にたいして失礼」ということが言われる。しかしこの文章には続きがあり相手にたいして失礼だから「自己を整えよ」という文章が暗黙的に付記されている。これを結婚にあてはめる。
結婚においてお金がないのは相手にたいして失礼だからお金を稼いで「から相手を探せ」とさらに付記される。そういう内面化地獄が特に男性において強烈にあるのではないだろうか。
さらに、収入は可変的であって自分の努力によって変動する。もっと稼ぐことが可能であるので自分の努力の不足は相手に失礼であるという論理に正当性があるように思えてしまう。外部が可変的であるほどに自己の内面化は絶対になっていく。
いっぽうで女性は男性から容姿によって評価されることが多いが、女性の容姿はそこまで変動可能ではない。女性の容姿が整っていないのは(努力不可能な領域であるゆえ)相手にたいして失礼ではない。相手から選択されないことはあっても失礼にはあたらない。僕は男性なので想像するしかできないけれど、それもまた別の意味でつらいものではあると思う。
お金がないから結婚しないのではなく「お金がないのは相手にたいして失礼だから失礼がないようにまだ独身でいよう」という礼儀正しさゆえである。
整理する(めずらしく笑)
統計的に分析すると年収が低い男性は結婚していないという結果が出る
↓
年収が低い男性はお金がないから結婚しないので収入を増やせばいい
↓
みんな政策としては最低賃金増加や福祉政策などで対策をしようと言うが違和感がある
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お金がないのは相手が選択する場合の条件であって自分がパートナーを探さない理由ではない
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問題はお金がないことに劣等感を抱き内面化することにある
経済的理由が精神的な理由に変換される日本の「礼の精神」が一因として考えられる。
まだ続きますというより蛇足です。書きたかったことは以上です。
少子化の原因としてはもっとベタベタな理由として男性の性欲の問題がある。性欲というと低俗すぎて結婚という神聖な話題に繋げて誰も話さない。しかし男性を恋愛に駆動する理由として一義的に考えられるのが性欲に他ならない。
しかし近代化、特にアダルトビデオの出現によって男性が性欲に駆動されて女性を探すというイニシアティブが少なくなった。実際、セックスするよりもAVを見てオナニーしていたほうがいいという男性はたくさんいる。性欲に限って言えば現実の様々なハードルを越えて女性と会うよりもビデオを見たほうが手っ取り速い。文句なしに。
だから男性は女性を探さなくなった。というと身も蓋もない話であるが、多くの恋愛関係において恋愛が始まるには男性が能動的である必要がある。男性が恋愛にたいして能動的であるとは低俗な言い方をすれば「さかっている」状態のことだ。女性とセックスしたいと思うから女性と付き合う。こう書くとおまえは恋愛を知らないとかなんとか言われるかもしれないけれど恋愛を知らない状態の人間が恋愛を始めることができる理由を探すのが少子化の議論ではなかったのかと思う。誤解をまねきかねないのでちゃんと書いておくと僕個人は恋愛感情は当然持ちます。
社会的には忌避されるこうした言説だけれど現実に流通している恋愛の多くが男性の能動的な性欲によって成り立っている部分が大きい。男性ももちろん恋愛をする、しかしそれ以上にセックスしたいのが男性の本能的な部分である。
それが失われている。現実の恋愛市場で流通している性欲の絶対量がアダルトビデオなどによって失われている。性犯罪の減少という点で見れば功績であるが、少子化という課題という点で見れば問題である。
個人的な意見だけれど、アダルトビデオは極端に規制したほうがいいと思っている。この国で何がいま一番せっぱつまった問題かというと少子化に他ならないからだ。万難を排してでも少子化は解決する必要がある。
アダルトビデオが少子化の原因になっているのか昔調べたことがあるけど
最初のアダルトビデオが発売したのが1981年で「ビ二本の女」ってタイトルの作品
少子化がはじまったのが第二次ベビーブーム後の1970年代後半あたりから
オイルショックとかバブル崩壊とか他にも考えられる理由はあるので因果関係があるかは不明であるが時期としては符合する。
セックスして子供ができる以上、アダルトビデオのように性欲処理を外部に委託することと少子化が無関係であるわけがないだろう。
まだもっと現実の環境において物語がないとかお金以外の価値は評価基準として機能していないなどのことを思いましたが後日にします。
おやすみなさい。オナニーして寝ます。