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トランプ当選は多様性の敗北をうたっているのか

アメリカ大統領選挙ドナルド・トランプが当選した。Brexit(イギリスのEU離脱)とあいまって考えると無意識の精神的なレベルで言えば多様性の敗北という視点も得ることができるように見える。

多様性を大金言とするようなふしが近代グローバリズムの世界にはある。とかく多様性はあらゆる人間に自由をあたえとかく平等な社会を形成するような文句として言われる。多様性を否定する人はあまり見ない。ポリティカルコレクトネスかコモンセンスかどうかわからないがともかく論理の世界では多様性は絶対的に善であると捉えることができる。僕もそう思う。肌の色・性別・性的思考・趣味などなどありとあらゆる人間を包摂して取り込もうとする社会は理想であることに異論の余地はない。ただひとつだけ条件をあげるとしたらそれは論理の世界の話であって現実の世界の話ではない。こうして文章にして書くかぎりにおいて多様性はいくらでもその正しさを維持することができるが現実の世界においてはそうとは限らない。

それをイギリスとアメリカは証明した。

 

トランプの当選とイギリスのEU離脱との共通点はブルーカラーの現実的ナショナリズムによる自衛ということが言える。アメリカは得票地盤を見れば一目瞭然であるが東海岸と西海岸のホワイトカラーはヒラリーを支持し内地の人間はトランプを支持している。レッドネックと黒人薄給労働者や一部のリバタリアンがトランプを支持して既得権益層はヒラリーを支持した。イギリスでも移民に仕事を奪われる危機感によってブルーカラーを中心に同様の現象が起きた。人間は理性的であり多様性という金言を確保した国家戦略は機能するだろうとメディアは考えていたがヒラリーは敗北しイギリスはEUを離脱する結果になった。

 

結局、多様性は言語空間によってしかその正当性を確保できない。多様性は反論できないゆえに否定しようがないので皆が多様性に賛同しているような空気がつくられるが多くの人間は多様性なんてものより自分の故郷が大事だし自分の信仰や宗教を侵されたくはない。移民がカリブ海で何千人死のうが自らの労働環境を守ることのほうがはるかに重大な問題であるし自分が大事で次に自国が大事である。その基盤や余裕を持って初めて多様性にコミットできる。移民や他国の価値観を受け入れる多様性という「善性」はその時に初めて生まれることをアメリカは証明した。

トランプのメキシコとの間に壁をつくり日本はアメリカの庇護を期待するなという発言しかり物騒なほどゆがんだナショナリズムは理想を語ることしか許されない言語空間によって毒されてきた人間には理解できないほど自らの生活を脅かされてきた人間には意外なほど心の奥底に届いたのかもしれない。そして皮肉にも多様性を担保にした思想の自由をも多様性は良しとするのである。

 

個人的な話をすれば多様性なんてクソくらえと言うべきか言わないべきかと言えば言わないべきではあると思うがセクシャルマイノリティの方に対して僕は気持ちが悪いと思っている。多様性というポリコレがあるので言わないだけであるが男が男のモノを舐めるとかアスホールに自分のモノを入れるだとかとても現実的に許容できる世界ではない。しかし僕はこんなこと普段は言わない。言わないのは他人と他人がどうなろうが知ったこっちゃないので勝手にすればいいと思っているので言わないだけであっていざ投票という行動になると同性愛に賛成するのか反対するのか僕がどう判断するのかは自分のことながらはっきり言って「よくわからない」。

おそらくこの本音と言論のかい離と迷いがアメリカ大統領選挙にもあったのではないかと思っている。

多様性を担保に普段言わないことでも単純な投票行動であれば自分の本音をぶつけることができるしトランプ支持なんて普段は絶対に言わないのにいざ投票となればトランプに票を入れる。外部の対人関係を構築する性格が常識や多様性によって役割として矯正されてしまっているので普段は隠れていて投票によってはじめて出てくる。そして多様性を否定することは言論的または理想主義的には悲劇でも多様性よりも大事なもの(生活や愛国心)がありそれが純然たる現実なのである。

理想主義や啓蒙主義が敗北したという視点で見ればアメリカは至極まっとうな判断をくだしたのかもしれない。