メロンダウト

メロンについて考えるよ

コロナウィルスと国家の脆弱性といろいろ

田原総一郎さんがいつかの番組で戦争を知っている世代と知らない世代とでは物事の受け止め方や考え方が違うといった趣旨のことを言っていた。同じ種類の言説は他にもあって会社の教育担当がゆとり世代に向けて今の若者はこらえ性がないというのもよく言われていたし、林修さんも侍の肖像画をひいて今の日本人とは顔つきが違うというようなことを言っていた。

実際、環境によってその人間に耐性ができていくことは少なからずあると思う。環境に順応することによって社会的免疫が醸成されていくのは感覚としても人間の機能として備わっているんだなと実感する時がある。

戦争を知っている世代と知らない世代とで物事の考え方は決定的に違うのだろう。人はたやすく死ぬことを実感して生きるのとのっぺりと平和に生きる人で考え方が違うのは当然だ。僕達はおそらく過去生きたすべての人間よりも繊細でもろく傷つきやすいほど平和な時代を生きている。パワーハラスメントに悩んでいると昔の人が聞いたらきっと一笑に付すだろう。過去と比べて平和であっても平和のなかの比較で言えばパワハラは問題になる。僕達はきっと弱くなっている。個人としても社会としても、あるいは国家としてさえも。

 

コロナウィルスについては門外漢でニュースで知るような情報しかもっていないので書くことはないけれど、社会的な観点で言えば今回のコロナウィルスで明らかになっているのは国家という形態およびグローバル経済の欠点、そして僕たちの社会的免疫力の脆弱さの3点が挙げられるかと思う。

国家は会員制のバーのようなもので日本国籍を持った人間は税金や保険料等を会費として払えば国家は国民の生命、自由、財産を守る義務を負うという建付けになっている。

なので今回のような緊急事態になると国家は国民の生命を守る義務を負うことになるけれど問題は生命をまもるあまり経済とのバランスが取れなくなるところにある。実際、今回のコロナウィルスによる騒動でダウを中心に株価が暴落しているけれど今の経済活動、特に金融やITはグローバルになりすぎてて今回のような騒動になると全世界を巻き込んだものになってしまう。アメリカの一企業であるリーマンブラザーズが破綻したことが全世界に不況をもたらしたようにグローバル経済は一国家、一企業の影響をいとも簡単に受ける。ギリシャが経済破綻した時にヨーロッパが混乱していたようにもはや全世界がヨーロッパでありすべての国家がギリシャとなりうる世界で国家が国民を守ることは条件的に難しくなってきている。

今回の騒動を受けて日本は学校を休校にしたり世界中で渡航禁止になっているけれど経済の停滞による倒産および失業は止めようがない。経済的理由による自殺者も出てくるだろう。

 それによって明らかになるのがグローバル経済の脆弱さである。今まではグローバルに経済を拡大してとにかくスケールを広げて人も金も物も集めて最大効率で生産するのが最も合理的だという幻想のうえにたっていたがその幻想はリーマンブラザーズによって破壊された。

今回のコロナウィルスで明らかになるのは国家の脆弱さだろう。国民の生命を守ることを義務として課されている国家は経済的な損失を無視してでも国民を守る義務がある為、短期的な見通しによって政策を打ち出さざるを得ない。学校休校やイベント自粛などが日本でも行われているがこれらが株価に影響し実体経済へ連鎖した時に発生する自殺者数はウィルスによる死者数を超えるかもしれない。

リーマンショックの時にどれだけ自殺者数が増えたかといった記事がある

https://www.ibtimes.co.uk/2008-financial-crash-blamed-6566-suicides-1666555

36の国でサンプルをとった結果、トレーダーの自殺者は6566人増えたという試算となるみたいである。現実にはトレーダー以外の失業者などの自殺もあるのでもっと増えるはずだけど。

今回のコロナウィルスによる株価の暴落率は現時点ですでにリーマンショックの時を超えているし生産活動もストップして労働収入がなくなった人もいる。あらゆるところへの渡航も各国で禁止されていることを考えるとリーマンショック以上の被害になることはほぼ間違いないだろうと思っている。

それでも国家は今の国民の生命を守る義務があるので「将来において経済活動の停滞から自殺する人が発生する危険があるので国民の皆さんは今ウィルスにかかるかもしれない状況で働いてください」と言うことができない。それが今回のウィルスで明らかにになった国家の脆弱さだと言えるだろう。

 

これだけの騒動になったことはここ十数年ないのではないだろうか。東日本大震災は一瞬ですべてが飲み込まれて損害としては莫大すぎたけれど地震は「過去起きたこと」として処理された。ウィルスは未来への不安であってこれだけ人々の不安を喚起するものはほとんど記憶にない。北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれないってことは報道されるけれど日本人の感覚からすると「またか」で処理される。疫学的にはSARSやMERSのほうが感染した時には恐ろしいのだろうけれどこれだけひろがるとコロナウィルスは現実的なレベルで生命への不安を煽るものとなった。

そして僕達はそれに耐える社会的免疫をおそらく持っていない。なぜなら戦争を知らないからだ。

マスクを買い占めるのも予防と言えば聞こえはいいが一般的なマスクではウィルスに感染するのを防ぐのにほとんど効果はないみたいでそれは連日報道されている。しかしマスクはどこにも売っていない。

 

飛沫による感染を防ぐのであれば誰かと話しをする時にはお互いが明後日の方向を向いて話すほうが有効だし接触感染を防ぐのであれば手洗いを徹底するほうが有効だと様々な情報を見ていると知ることができる。マスクはあまり意味がない。しかし問題はマスクが売っていないことではなく意味がないマスクを買い求めるほどに不安な心理のほうである。僕達はこういう生命の不安に対処する心理的な術をほとんど持っていない。だから不安を埋めてくれるものをアウトソースする。その象徴としてマスクがあると考えたほうがむしろしっくりくる。

どうあっても感染する時には感染する。ダイヤモンドプリンセスの乗船者の感染率の高さからも非常に怖い。だからといって全員が家にひきこもろうと言いたいわけではない。引きこもったら物流もインフラもなにもかもストップするからそういうわけにもいかない。社会や経済活動を維持しながら同時に生命の不安やリスクに冷静に対峙すべきである。そのためにはきっと覚悟のようなものが必要でそれが田原さんや林修さんが言っているような社会的免疫力ではないかと思っている。

もちろん覚悟なんか持ったって感染する時にはするので意味がないと言えば意味がないけれど心理的な不安に対処することに関してはすくなくともマスクより効くことは間違いないと言えるのではないでしょうか。