メロンダウト

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ピエール瀧氏とセキュリティー社会

ジャン・ボードリヤール「悪の知性」に情報化社会が発達すると人々は仮想現実と事前のセキュリティーに侵食されていくといったことが書かれていたことを思い出す。

 

ピエール瀧氏がコカイン所持で逮捕されたことから彼の出演作品が配信停止になったりしているそうだ。日本では薬物所持による逮捕というとかなり評判が悪い。殺人、強姦、飲酒運転の次ぐらいには薬物の評判は悪い。法律に触れているので良いわけがないのだが個人的には薬物を使用して何が悪いのかいまいちよくわからない。薬物を禁じる法律はあるべきだがそれは社会的な役割として機能させるためであり倫理的に薬物が悪ということはできないだろう。自分の身体を傷つけていることを罪だとするなら自殺した人間やリストカットなども悪と認識されるべきであるがそういう言説は聞いたことがない。薬物は昔からならずものや堕落者、暴力団などを象徴する物であったことから概念的に悪という認識が広まっているだけでよく考えるとそれほど目くじらをたてて騒ぎ立てるようなことでもない。もちろん社会的、法律的、幸福的観点から「使ってはいけない」ものなのは間違いないが幸福と倫理はもちろん違う。

 

それはそうと彼の出演作品がのきなみ配信停止になっている事態を見ていて情報化社会によって形成される社会がどのようなものなのかが見えてくる。それは冒頭に書いたように事前のセキュリティーに侵食されていく社会だということが言えるだろう。

 

情報や統計が広まるとどのようなふるまいが企業にとって適切なのかどのような戦略が有効なのかが答えとして見えてくる。一見すると社内のことを何もわかっていない企業コンサルタントが流行りだしたのは社会が情報化したのと同時期だったことも偶然ではないだろう。何が本当に正しい行いかではなく何が戦略的に妥当なふるまいかを社内の人間よりも情報に精通している人間のほうが知っているゆえにコンサルタントという業務は成立する。

今回のことに関しても情報に精通していない普通の考え方を持つ人から見れば作品までお蔵入りさせる必要はないんじゃないかと考えるだろう。しかしそれは戦略的に正しくない。ピエール瀧氏の作品を放送すれば神経質なクレーマーから苦情がくることは統計的に間違いないからだ。

そうして事前の、匿名の情報に逐一セキュリティーをはっていくことになる。なぜなら情報をもとに戦略をたてるとするなら企業にとってそれが正しいからだ。

 

ピエール瀧氏の件だけでなく情報をもとに戦略をたてそれがセキュリティーを構築し普通のふるまいが困難になる事態はすべてのことに言える。

たとえば昨日の増田「セックスって難しすぎない?」もそうだ。

セックスって難しすぎない?

セックスどころか昨今の恋愛一般においてもそうかもしれない。

 

セックス前のセキュリティーが情報化により高くなりすぎて普通にセックスする関係を築くことすら困難になっていることをこの増田はよくあらわしている。

合意の確認を突破しなければ危険すぎて見ず知らずの相手とセックスなんてできない。そりゃそうだ。準強姦で訴えられるかもしれない。そういう情報を僕達は持ってしまった。だからセキュリティーを突破するために恋愛指南の本が必要になったり適切な戦略をたてることが必要になる。そうして恋愛が面倒臭いものとなる。そうして少子化が進む。そうして人類は絶滅する...は極論ですが恋愛は本来もっと自由だったはずではと素朴に思う。

 

また、会社内でセクハラやパワハラを過度に気にしたり電車における痴漢冤罪なども情報化社会ゆえのセキュリティーだと言える。

 

すべての事象を事前のものとして統計的にとらえようとするとその多くには答えが出る。何が優位か、何が有意かといった具合に。しかし「統計的にのみ」出た答えが正しいかどうかはもう一度考えるべきだと思う。

僕達は情報化社会のセキュリティーによってあらゆる場面で適切にふるまうことを要求され、一方で要求する。恋愛も、仕事も、友人関係も、あるいは家庭でさえも。

そうして正しさとセキュリティーに侵食され仮想現実が台頭する。世界を全面的に取り換えることによって問いそのものを消滅させてしまう。

客観的現実性さえもが無用な機能、一種のゴミとなる。ゆえにキズナアイだけが唯一人間である。