恋を味わうとは何か?自由恋愛とは何か?
スタンダール「恋愛論」
「思考の自由さによって恋愛を味わう」ことを至上であるとする本。
小説家だからこそ・・・いやスタンダールだからこそ書ける表現の豊かさによって公平な目線で恋愛を見つめる。
スターバックスで好きな男性のことを話す女子のトークを具現化したような一見すると俗物的である。しかし200年前も、そして現在スタバにいる女子も同じことを話していると考えながら読むと非常に面白い。恋愛の形は昔から変わらないんだという歴史を振り返ることで自信になる。
恋愛にたいする論理展開を読みたい人は読んでも無駄だ。段階的な恋愛のステップということは本書にも書かれているがこの本の主眼はあくまでも恋愛そのものの自由さを愛するためにある。
だから恋愛を論理で考えすぎて恋にむなしくなった人こそスタンダールを読んでほしい。知識ベースの話ではなく著者の経験をベースに書かれているので恋慕や情動を思い起こさせてくれます。
論理展開が読みたい人はこの本を読むと良い
愛するとは何か? 恋愛を哲学する
エーリッヒ・フロム「愛するということ」
- 作者: エーリッヒ・フロム,Erich Fromm,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/03/25
- メディア: 単行本
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「愛するには技術が必要だ」
というこの一文がこの本の趣旨であり概ね主張されていることです。スタンダールの経験に即した表現とは違いフロムの言葉は容赦のない徹底さを持って読者の価値観をゆさぶります。
ヒトラーなどの社会分析をしていたフロムなればこそ、この社会で見返りを求めずに真に人を愛するには努力が必要であり
「愛は落ちるものではなく踏み込むものだ」ということを言います。
また「運命的な出会い」というものには否定的な立場で、愛するには技術が必要で同時に相手への「理解・尊敬・配慮」等も必要であると説きます。
さびしさから一緒にいることも愛することではない。
愛するには一人でじっとしていられることが必要で、自らが成熟したうえで尚、人に無償の愛を与えることを愛することだと言います。
最近はSNSなどで常につながっている社会ですがいったんそれらの電源をきって一人でじっとしていられるのか試してみることも面白いかなと思います。自らが愛するに足る人間かどうかということを知るために。
つまり多くの人が実践しているように依存や同情、性欲によるつながりは愛することではない。愛の形は無限という甘ったれた自由論に切り込んできます。
しかし不思議と自分が恥ずかしくなるようなネガティブな感情は湧いてきません。むしろ愛ってこんなに先があるんだということを教えてくれます。
この本は自己啓発本ではなくあくまでも思想書、技術書であることを海老黒須さんのレビューを引用させて書き加えておきます。
Amazon.co.jp: 愛するということの 海老黒須さんのレビュー
カーネギーもピールも資本主義社会を無条件に肯定しており、そこでいかに成功する
かという視点で論を展開していること、そして、宗教さえも社会的成功の一手段とし
て取り扱っていることに対し、フロムは批判的です。
フロムは愛に関して意識と無意識を区別したうえで次のように述べています。
「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、
愛することを恐れているのである」(189頁)。なぜなら「愛するということはなん
の保証もない行動を起こすこと」だからである、と(190頁)。
フロムは、意識のうえの「愛されない恐れ」への対策本として、自己啓発書をとらえ
ています。だからこそ「愛される人間になるための方法の多くは社会的に成功し、
『多くの友人を得て、人びとに影響を及ぼす』(注:カーネギー『人を動かす』の原
題)ようになるための方法と同じである」(13頁)と言うのです。つまり「愛される
ため」にはカーネギーの本を読めば、その方法が学べるということでしょう。
しかし「愛する人間」になるには、自己啓発書の方法ではなく、それには別の「技術」
が必要であると考えたからこそ、精神分析家フロムは、人びとの無意識のなかにある
「愛することへの恐れ」に着目して、それへの処方箋として本書を書いたのです。
「愛されること(受動)」に重きを置くのが自己啓発書であるならば、「愛すること
(能動)」に主眼を置くのが本書で、ここに両者の違いがあります。したがって、愛
するという「なんの保証もない行動を起こす」ように促し、勇気を与えるのが本書な
のです。
そんな愛とは何か?なんていうものに一石を投じた坂口安吾の恋愛論
坂口安吾「恋愛論」
愛とは即物的である。
感情まかせ、本能まかせで愛することが真に愛することだと安吾はいいます。
恋とはなにか非常に示唆に富んだ一文があるので引用させていただきます。
恋をすれば、夜もねむれなくなる。別れたあとには死ぬほど苦しい。手紙を書かずにいられない。その手紙がどんなにうまく書かれたにしても、猫の鳴き声と所詮は同じことなので、以上の恋愛の相は万代不易の真実であるが、真実すぎるから特にいうべき必要はないので、恋をすれば誰でもそうなる。きまりきったことだから、勝手にそうするがいいだけの話だ。
つまり安吾の立場は恋愛とは本能的なものであって至極動物的だが同様に最上の幸福だということを書いています。
恋愛とは何か?愛するとは何か?恋焦がれるとは何か?
そんなものは本を読んで得るものではないと書かれています。悪く言えばエゴイスティックで良くいえば自然体で愛することが人間の「普通」なのだと。
真実の愛などと書くとひどく中二病的響きを含むがおそらく安吾の言う恋愛とは自然発生的に突き動かされるまさに「愛」のことを言っているのだなと考えることができそれは無償の愛を説くフロムにも通ずるところがあります。
愛は打算や見返りではないのだ。愛することができれば愛せばいい、愛せなければ愛さなければいい。
そして孤独になろうとも孤独に耐えることこそがフロムの言う愛であり、またお笑い芸人スピードワゴン小沢さんの言葉の
「一人なのはいつでも二人になれるため」という言葉に繋がるのだろう。