僕ももうずいぶんとさびしさという感情を忘れてずっと生きてきたような気がする。ますだのように。
家で一人でいる時もいつしか寂しいなんて感情はなくなってしまった。いつからだろう。他人に大人扱いされるようになってからだろうか。
子供のころの僕がこうして一人でパソコンに向かって文章を打ち込んでいるのを見たらきっとさびしいのかなと心配するかもしれない。
なんだかとても大事な感情だったような気がするのだがもうさびしいという感情の手触りがよくわからなくなっているのだ。
客観的に見れば僕もますだのようにさびしい人間に入るのだろう。結婚もしていないしこうして夜な夜な一人でブログに妙なことを書いてはお星様を集めている。
けれどさびしくはない。
小学生のころに一人で飛行機に乗っておじさんの家に遊びにいったことがある。5年生ぐらいだったかな。
僕は早生まれで成長も遅く同級生と比べて身体的にも精神的にも未熟だったから・・・かどうかはわからないが飛行機の中でとても寂しくて泣いてしまったことを強く覚えている。
当時の言い方で失礼するとスチュワーデスさんにずっと横に座ってもらってたな。それでも一人ということがさびしくてさびしくて本当に怖かったのだ。空港につきおじさんに連れられてやっとすこし安心した。そんなことをふと思い出してしまった。
孤独に耐えることもまた大人になることというけれど孤独に耐えることは本当に良いことなのだろうかと、ますだを読んでいたらふと昔の情景が思い浮かびすこし泣きそうになった。
僕はもうさびしくなんかないし大人になりずいぶんと強くなった。しかしさびしくならないというのは本当に強くなったと言えるのだろうか・・・
もうよくわからくなってしまった。
さびしいという感情はとても大切だった。確かに僕の中にもそんな感情は存在していたのにもう忘れてしまった。
語るに足りぬほどの言葉しか出てこないほどさびしいという感情の具体性を失ってしまったのだ。さびしくて泣いたことなんてここ十数年記憶にない。
大人は泣かない。しかし大人になってもきっとさびしむべき瞬間というのはきっと多分に存在するのだろうな。
そんなことを思い起こさせてくれたますだには感謝いたします
たまにはポエミーに書いてみました