メロンダウト

メロンについて考えるよ

「頭がいい」立花孝志に投票する人は自らの判断力のなさを露呈しているに過ぎない

またまたN国党ウォッチ記事。

立花孝志元参院議員が辞職して補欠選挙に立候補することになった。それにたいして「立花氏は頭がいい」なる意見を見聞きした。堀江貴文氏なども戦略的だと言っているようである。彼も「頭がいい」人類枠にはいるのだろう。僕もそこそこ頭がいい大学を出ていて頭がいい人達を見てきたのだが頭がいい人達の中には頭がいい人同士で頭がいいねと褒めあうコミュニティーみたいなものが大学にすらあって彼らは昼夜を問わず自らが頭がいいと確信するために頭がいいと褒めてくれる友人を集め頭がいいねパーティーを開催しているようであった。頭がいいということはどうにも無類の価値があるというのは噂で聞いたことがある。

 

ところで頭がいいということに価値を置いて頭がいい人を支持する層は大変に厄介な集団である。最近の言葉で言うならポピュリズムということになるのであろう。

頭がいいから誰々を支持する。頭がいい人についていけば自ら判断しなくても頭がいいんだから間違わない信仰がこの世界には存在するらしい。

N国党の立花氏を論ずるさいに彼は頭がいいと言っている人達がいる。過去記事でも書いたがメンタリストダイゴ氏なども頭がいい同盟の会員らしく頭がいい立花氏を頭がいいねと褒めちぎっている。しかし頭がいいということは僕は能力としては声が大きいぐらいの価値しか見出していないので頭がいいからなんなんだとしか思わない。

 

頭がいいから当該人物を支持するというのは頭がいい人に価値を置く時代だから頭がいい人を支持するのがふさわしいと考えているに過ぎない。僕も頭がいいと思われてみたいのでちょっと頭がいいふうに書くとケインズはこれを美人投票と呼んだ。みんなが美人だと思う候補者を自らも美人だと思い込む性質が人間にはある。今の時代には立花孝志のような喋りがうまく法律に詳しい人間が頭がいいと考えられているのだろう。しかし僕はそう思わない。頭がいいということはそういうことからいかに「離れられるか」だと思っている。

頭がいいということはそれだけでは何の判断基準にもならないはずである。どんな国をつくりたいのか、どんな世界にしたいのか、どんな問題を先に考えるべきか自ら判断すれば「NHKを壊したい」なんて些末な物事に投票するには至らない。

仮にNHKを壊すのが入り口で立花孝志を見始めてから彼は頭がいいと認識するのは美人投票にすぎない。

つまりNHKなんて些末な物事で国政選挙の票を投じるのも愚かであれば頭がいいなんてわけのわからない理由で票を委任するのは自らの判断力のなさを露呈しているに過ぎない。

そう、立花孝志に投票した私のことである。

 

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