メロンダウト

メロンについて考えるよ

被災というのであればホームレスの方は常時被災している

台風19号におけるホームレス受け入れ拒否に関してだけど

被災によって住む場所がない人に避難所を提供するのが行政の仕事であるのなら「なぜもともと住む場所がない人」に避難所を提供しないのだろうか。

なにも今回の台風によって考えるようなことではなく以前から思っていた。日本の住環境はホームレスの方にとっては大変にハードルが高い代物になっている。

住所がないから仕事がない、仕事がないからお金がないから住所がない、携帯を買えないから仕事がない。頼れる人がいないから保証人を用意できないから部屋を借りられない。その結果として公園やネットカフェに住むことになる。

一見してわかる風貌のホームレスの方だけでなく単純に家がない人の暗数はかなりの数に上っていると考えられる。開沼博さんが「漂白される社会」という著書で書かれていたが都内だけでなく地方政令都市のネットカフェなど行くとそこに住んでいるらしき人がたくさんいる。そこに住民票をうつしているのが少し前に問題になっていたがホームレスの方にたいするケアというのは思った以上にないのが実情なのだろう。

それは今回、台東区ではホームレスの方が避難してくることを想定していなかったことを考えればはっきりしていることだ。

 

この国では被災者には手厚い保障がなされる。東日本大震災でも家を失った人に多額の保証金、義援金が集まりもともと住んでいた家よりも良い家を購入できたという人もいると友人から聞いたことがある。

しかしここで疑問が出てくる。もともと住む家があった人を被災者として丁重に扱い、ホームレスの方のようにもともと家がない人にはなぜ住居・・・とまではいわずも一時的にでも住める場所を提供しないのだろうか。

家が流されることが悲劇なのであればもともと家がないということはそれ以上の悲劇のはずである。

 

外部のあらゆる条件において住む家がないのを「被災」と言わずに何を被災というのか。この国には常時被災している方々がかなりの数いる。

社会保障として生活保護などの保証はなされてはいるが憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」を考えればホームレスの方を受け入れるためのシェルターのようなものをつくるべきだろう。DV被害のシェルターがあってなぜホームレスへのシェルターがないのか不思議でしょうがないのだ。もちろんそれを利用するかしないかは当人の判断による。好きで公園に住んでいて他人にも行政にも干渉されたくないような人も中にはいる。生活保護を受けてケースワーカーに監視されるぐらいなら公園に住んでいたほうがいいという人もいるだろう。そういう方も無償で好きに使える住居なのであれば利用する敷居が下がるかもしれない。

住居があれば生活コストが下がる、住所があればアルバイトも探せる、アルバイトすればスーツと携帯を買える、スーツと携帯を買えば就職活動もできる。

なにはともあれ住居は最も根本的な人間の生活の基礎となるものでそれがないホームレスの方をなぜ「被災者として扱わないのか」を災害のたびに思うのだ。

「家がない」という条件で見れば水害から逃げた被災者もホームレスもまったく同じである。

今回は台東区でそれがもろに顕在化した形になった。

 

そもそも日本の住宅政策はおかしいと僕は以前から思っている。

過去記事でも書いたけれど

plagmaticjam.hatenablog.com

 

ホームレスになると家を借りれない問題もそうだがホームレスの問題だけではなく非正規における生活コスト、過度に形式化された契約、過度な居住権ゆえの過度な審査、経済成長してもいっこうに下がらない実質的な家賃。

「住む」ということに政治はそろそろ注意を向けたほうがいい気がしている。

経済全体の総量が増えて格差が大きくなると地価の上昇に賃金が追い付かなくなる。現に上の記事でも言及している通りカリフォルニアなんかでは一般的な職業の人が家を借りれなくなっているらしい。東京でもタワーマンションを中国人が買い占めているみたいなニュースもあったので他人事ではない。それを是正するのが本来の行政の役割なはずである。

日本でも同様のことが起きた時にホームレスが大量に発生する可能性は充分にある。経済格差がひろがった結果、地方が衰退してインフラも壊滅すれば生存条件として都市部に人が集まり都市部は都市部で格差による家賃の上昇で家が借りられないみたいなことは現実に起きうる問題だと僕は思っている。

 

高架下で寝ている強烈なにおいがする人と僕はそれほど遠い存在ではない。

はなはだそう思う。