メロンダウト

メロンについて考えるよ

ゴキブリとハイエナとマリオネット

ソロキャンプ中に声をかけられた女性がツイッターにあげた動画を発端に、声をかけた男性のことを日本単独野営協会が糾弾したことが物議を醸している

ソロキャンプ中にナンパ被害、「なんだてめえ」と恫喝も 被害女性が語る恐怖の一夜 | ENCOUNT - (2)

ソロキャンプ - 日本単独野営協会® 公式 - on Twitter: "【女性ソロキャンパーへ話しかけに行く男性について日本単独野営協会が思うこと】… https://t.co/euFwVS2ogU" / Twitter

 

当初は女性を擁護する日本単独野営協会の文章にたいして賛同する声が多かったけれど「男性はゴキブリとハイエナを足して二で割ったようなもの」という文言がジェンダー界隈を刺激したのか、いわゆる「おチンポ騎士団」として批判される事態となっている。界隈ではけっこう典型的な話で、「私は女性の気持ちがわかっている」というテイを装いながら他の男性をサゲて女性に近づいていくムーブのことは「おチンポ騎士団」と呼ばれる。誰とは書かないけれどフェミニストを標榜していた人が性犯罪で逮捕されたこともあった。普段はジェンダー平等を謳う共産党の議員が同じように逮捕されたりと、女性を擁護しながら女性を襲うという一見すると矛盾した振る舞いはいろんなところで散見される。

最近、ヤングジャンプで連載が始まった『ハッピーマリオネット』も同様の問題について書かれていた。

上京してきた若い女性をストーキングすることで恐怖心を与え、そのストーカーから女性を守るというテイを装い優しい言葉をかけることで「手籠め」にするという話だ。実際にはそのストーカーと優しい言葉をかける男性は同じ人物であるのに女性は優しい言葉に騙されていってしまう。ハッピーマリオネットはフィクションであり、ある種デザインされた物語となっているが、恋愛工学でも「女性は落としてからアゲる」ほうが効果があるというようなことが書かれており、このようなムーブに一定の効果があるのは現実でも変わることはないように思われる。もちろん実践すべきかどうかで言えば実践すべきではないのだが、実践する人間がいるということは知っておいたほうが良いと思う。

 

 

男性が他の男性をサゲる行為であったり、女性が自身を守ってくれる人になびくことはなにか生物的なものが関係していそうではあるけれど、それよりも厄介なのはストーカーをしているような加害者のほうが被害者が何を考えどのように恐怖するのかを知っていることだと思うんですよね。加害者が全員人の気持ちがわからないサイコパスということはなく、被害者の感情を学習し洗練されていき「うまくやるようになる」のが厄介なところなのだ。ある種の専門性が宿るというか、被害にあった女性の生の声を聞いているのは加害者だけであり、そこから妙に説得力のある言葉が出てきたりする。性犯罪者が語るフェミニズムのほうがよりフェミニズム「っぽい」という現象はなにも偶然ではないのだ。以前、犯罪者の手記(絶歌)を読んだ時にも「当事者であるのにどこか他人事であり、その当事者感と他人事感がないまぜになった言葉に異様な迫力と説得力が宿っている」みたいな感じを受けることがあった。当事者のほうが罪の味を知っているため、被害者が加害者に望むだろう罰の強烈さも知っている。ゆえにその強烈さをなだめるための言葉をも紡ぐことができるという理路なのだと思う。

 

一般社会でも加害者のほうが被害者が望む言葉を知っているゆえの問題が起きている。パワハラ・セクハラ・DVなどがそうだ。殴ったあとにかけられる優しい言葉は殴ったからこその異常な説得力を持ってしまう。

 

並べて書くわけではないけれど似たような話ですこし前に青識亜論氏がフェミとアンチフェミの両方のアカウントを持っていたことが話題になった。あれも似たような構造を持っており、対立勢力がどのような意見を持っているのかを知っているからこそそれを批判する言葉を紡ぎやすく、ゆえに逆側の勢力においてもプレゼンスを確保することができる。そしてこうした態度は一見すると不誠実なものに見える。そのため、立場上の矛盾が露見すると属人的な評価によって切断処理されるのが常である。フェミとアンチフェミのようなある種どうでもいい話ならまだ良い。しかし一般にも犯罪者の手記など読むべきではないというのがかなり普遍的な態度であり、属人的評価によって判断するのはなんというかかなり普通のことだ。当たり前すぎて誰も問題にしない。読まれることは信用によって担保され、犯罪者のような完全に信用を失った人の書いたものにたいしてはその内容に関わらず読まれることはない。パワハラやDVを働く人間にたいしても悪人として切断するのが常である。加害者が何を言おうと聞く耳を持たないのが正しい態度とされている。

しかし、というかだからこそ彼らの言葉の強烈さを僕達は知らないというふうにも言える。加害者は即座に社会の外へ追いやられるため彼らが発する言葉の異様な説得力を僕達は知らない。したがって免疫がない。ゆえにおチンポ騎士団のような守護者に擬態した加害者の言葉に簡単にやられてしまう。そうした懸念も持つべきであると思う。

立場や信用といったものに寄りかかり判断するのは限界がある。相手が加害者と知っていれば良いけれど事前にそれを知ることはほとんどないためだ。相手がどういう意図で、そして何故それほど説得力のある言葉が書ける・話せるのだろうかという一瞬の迷いがあってこそ「当事者のことを知っているかのような優しくて甘い言葉」に対処できるのではないか、なんてことを思った。

 

もちろん、日本単独野営協会がそのような団体と言いたいわけではないが、一般に誰かのマリオネットにならないためには異様な説得力を持つ言葉には注意したほうが良いと思う。あくまで一般に、である。