メロンダウト

メロンについて考えるよ

インターネットから大人が離脱していく結果構成されるネット社会を憂う

この増田と同じような内容を書いたことがあるんですけど
 
言及先

anond.hatelabo.jp

書いたやつ
 
インターネットから完全に距離を取っている人って周りにけっこういるんですよね。なかにはパソコンを捨てたりスマホからガラケーに変えたりした人もいたりする。右肩あがりにネット利用者は増えていてインターネット社会なんて言葉も使われるようになってきた。それと同時に上記の増田のような離脱者も出てきているのでしょうね。
 
自分はいまだにネットを使っているのだけどスタンスとしては増田の考えに近い。ネットをくだらないと一蹴するネットアナーキストと考え方としては親和性が高い。基本的にインターネットが生んだものにたいしてはかなり懐疑的です。ブログでそんなことを書くのは行為と思考が矛盾しているのだが10:0でネットがくだらないと考えているわけではない。
面白さの残香とインフラとしての依存と強制力がいまだに使っている理由であるがいずれにせよネットを切り離して生活できるほど僕自身は達観できていない。
最初にSNSにたいして疲れたのはミクシーであった。友人同士で日記などを公開していたのだが日々おきたことをつまびらかに晒していた。
足跡やマイミクなど繋がりが極端に可視化された世界は新しいものだった。かなり刺激的で面白かった。しかしいつしか繋がりが義務のようになってうざったいと思うようになり、とつぜん削除した。あの日からSNSにたいしては二の足を踏むようになった。日記を書くことやプライベートに食い込む形でインターネットを使うことはいっさいしなくなった。
 
めちゃくちゃ主観的な観測をするのであればインターネットから距離を置いている現実の人を見るに使わない人のほうがどこか穏やかに見える。(地方の農家をやっている親戚やマイルドヤンキーで酒ばかり飲んで遊んでいる友人など)
農家にストーカーはいないという格言がある。歪みのない生活は正しい大人をつくる。2ちゃんねるredditなどは歪みの極致であるので見ないほうが自然な呼吸を獲得できるでしょう。
 
当たり前であるがインターネットにはインターネットに書き込む人しかいない。インターネットは仕事や学業のように強制力のあるものではない。使いたくなければ使わなければいい。無理だという人もいるだろうがやろうと思えばできるであろう。ガラケーに変えPCやルーターを捨てても生活できないことはない。
実際にそうしてネットを使わない人、ネット言論に参加しない人を見るとはるかに大人に見えることが多いように思う。そしていったんはネットにいた言及先増田のような幼稚な悪意拡散機能やポリコレなどに疲れると判断できる正しい感受性がある良識者はこれからどんどん離脱していくかもしれない。(ネット離脱者がまともな判断力を有していると思うのは完全に個人的な意見です)
 
これからもインターネットへの参入者は未成年を中心にどんどん増えるのでしょう。しかしこれからはそれと並行してインターネットから離脱する人も同時に増えていくと思います。そうして残るのは2ちゃんねるやガールズちゃんねる、ヤフコメのような匿名短文の俗情が支配するだけのネットになっていく。大人が離脱し感性が絶滅し想像力の欠片もない悪意を吐く人間しか残されていないようなインターネットで純粋無垢な青年の思想が毒されていくようになるかもしれない。
 
 
インターネットにいる人はインターネットにいる人しかいない。インターネットに残っている人はその責任の不在性と承認欲求がゆえに思考を放棄しやすい。
インターネットの思考をコピーして流行している言葉を書き込むほうが「いいね!」がもらえるバイアスがかかっている。(ガールズチャンネルなど事件にたいするコメントに「死ね」と書くだけで2000近い+が集まる)(最近、はてブのコメントもはてな的価値観を意識するのを一切やめたのだが、スターがあからさまにつかなくなった)
そうして誰も本気で思っていないようなただ刺激的なものだけネットには陳列されていく。旨味ゼロの激辛担々麺のごとき文章である。この文章も恐らくはそうである。無責任な言論がはびこるインターネットで正しいメンタルを得ることは不可能だと諦めSNSから離脱していく。
そう判断するまともな大人がいなくなればなるほどネットは短絡的な世論へとタコツボ化していき一様性に収まっていく。そうしてトランプが生まれる。インターネットが殺す民主主義の死に。合掌

 

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)