TOKIOのメンバーが強制わいせつを起こした。思い入れのようなものはないのだが意外とショックだった。子供のころからふとテレビをつけたらなんとなしに映っているのを見ていた。TOKIOのあの外連味のなさに僕は好感を持っていたのだと思う。
えてして行為自体を批判することは簡単だ。簡単というよりも強制わいせつは当然、許されない。それで終わるし終わっていいと思う。
しかし人間には許されない行為をするまでの文脈が必ずある。
パンを盗む人間は金がないから盗む。金がないのは仕事がないから盗む。仕事がないのは景気が悪いから盗む。景気が悪いのは政治の問題だ。と考えるのは極端に見えるかもしれないしパンを盗んだ人が言い逃れとして政治が悪いと言えばあまりにも空虚に響くが遠因としては間違っていない。
ひとつの事件にたいしてその個人の責任とするのは「治安上妥当」である。盗みがすべて政府の責任となれば治安が崩壊しかねない。個人は個人の責任において個人の行為を監督する義務が社会上ある。
しかしその責任と原因を探ることはまったく別の側面で考えるべき案件もある。
山口氏の起こした件と付随して酒は悪くないという意見がちらほらと聞こえてくるがまったくの誤りだろう。酒は明らかに人の人格を瞬間的に歪める。泣き上戸、笑い上戸など気分がよくなることは問題とされないがいっぽうで暴力をふるうようになったり攻撃的な言動をする人、幼稚な発言を繰り返す人がいる。それはアルコール依存症の方に限ったものではない。僕の知人でもカラオケしていたら突然モニターに飛び蹴りして破壊した人もいるし二軒目に行こうかと歩いていたら突然コンビニにはいってエロ本を盗んできた人もいる。もちろん共に警察に連れていかれた。彼らは共にアルコール依存症でもなく普段は至って良心的な人物である。
酒は時として人格を歪め人間を奇行に走らせるなどそんなことはみんな知っているはずだ。山口氏の件でも酩酊状態にあり記憶がないと言っていたがそうなれば原因としてあるのはお酒だろう。
上述した通り、行為の原因が仮に酒だとしても行為としての責任が免れるわけではないし罪が軽くなったりするわけでもない。しかし責任と原因は別である。TOKIOのメンバーとして連帯責任をとるというちょっとよくわからないことよりも酒に因果関係を認めるほうがはるかに妥当である。
ニュースなどで原因として甘さ、弱さなどがたびたび言われている。もちろんそれもあるのかもしれない。
甘さ、弱さ、良い大人なのにとあちらこちらで聞くのだが甘さだったり弱さだったりは便利な言葉でそういえば行為の責任として償い、悔い、改める姿勢として響く。しかし甘さや弱さは時として簡単に吹き飛ぶものだ。
問題の本質的な原因は山口市が酒により動物に帰り欲望をふりまいたことである。酒を痛飲したことが甘さというならそうだろうがしかしそれは
闊達で規律を持ったTOKIOのメンバーとしての山口氏が偽ということにはならないだろう。お酒によりその規律が吹き飛んだのだとすれば酒にもその原因の一端を認めるべきなのは明らかである。
盗みをする人の原因は政治だ。盗んだ人も被害者だといえば非常識な発言に響くが責任と原因を同一視するあまりに原因の本質的な部分を見落としていることが多いのではないか。それは今回の山口氏の件でもそうだし他のことにもつながる話のように考えられる。
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唐突だが女子高生と猥褻なことをしたいという欲求それ自体は特別なものではない。中国の後宮などにも10代の女性がたくさんいたというしデジタル空間で性的に消費されているアニメやエロ漫画などもそれを証明している。現実的に実際の女子高生としたいかと言われればコミュニケーションの齟齬があったり、社会通念上や法的に大人は子供を保護する義務があるのですることはないし総合的に考えてしたくはない。あくまで個人的にであるが。
しかしその理性や社会通念をすべて吹き飛ばした状態になったとしたら女子高生にそういう欲望を抱くことはそれほど特別ではない。根源的欲求として男性のなんか奥の奥のいるのはわかるような気がする、
そして理性的で大人な人格者を動物に立ち返らせ根源的に欲望に走らせたとしたらその原因の一端として酒があるのは自明、である。
もちろん、だからといって行為としての責任が酌量されるわけではないしされるべきでもない。というけっこう無駄なことを考えました。
個人的な感想としてはTOKIOの曲がもう出ないのが残念です。