メロンダウト

メロンについて考えるよ

桜を見る会なんかみんなどうせ忘れる

桜を見る会が大変に盛り上がっているが年をまたいだらみんなどうせ忘れる。菅氏が反社会勢力が参加していたと認めたこともシュレッダーが高性能で800枚の書類を34秒で裁断できるのもなにもかも、どうせ忘れる。

こんなことで自民党が倒れるのであればもっと問題だった財務省の公文書改竄問題の時にすでに倒れてるはずなので、桜を見る会なんてみんなどうせ忘れる。

 

SNSが普及して情報の流通速度が格段に速くなった。サバが腐るぐらい速い、誰も干物にして保存しようとはしない。魚は刺身で食べるのがうまい、鮮度が大事。情報もそう。とにかく鮮度。鮮度の良い情報でPVを集める。PVが集まらなくなったら誰も記事を書かない。このブログもそう。権力の監視機関と言われるメディアだけれど鮮度とそれにもとづくPVによって動かされている。特にネットメディアは鮮度の高い情報しか出さない。

ツイッターもとにかく鮮度。公文書改竄の話なんかもう誰もしてない。どうせ忘れる。みんなどうせ忘れるから自民党はてきとうなこと言って森友加計から続く伝統の国会論戦通称「おまえ嘘ついたな、いや嘘とは言えない、嘘とはどういうことか」的な意味不明なやりとりで時間を使う。時間を使っている間にみんなどうせ忘れる。

年末になれば年末年始ムードで政治のことから離れて令和元年だとかなんとかお祭りムードになって桜を見る会のことなんてみんなどうせ忘れる。

どうせ忘れる人々なのでどうせ何も起きない。野党がどうこうという話ではない。みんな選挙の時には忘れてるので自民党を批判してももはや意味がない。何を批判してもどうせ忘れるからだ。それは与党の世論調査がひどく即時的な反応をしていることを見ればわかる。瞬間的に反安倍になってもどうせ忘れる。

情報の速度が速くなると忘却率も比例して上昇する。ワンナイトラブをした相手にたいして愛情を持つかみたいな話で一時的な高揚感を得ても一週間もすればどうせ忘れる。

 

インターネットは人々を即物的にした。現在流通している何かを追いかけることで注目を得ている。ハムスターが回転体の中をクルクル永遠と同じところを走っているうちに自分が回した回転体の速さについていけなくなるみたいなことが起きている。

政治でも同じことが起きている。野党は自分の足で回転体を回していると思っているのだろうが本質的には永遠と同じ批判を自民党にぶつけているだけで自ら同じところをクルクル回り続けている。あえて言うが自民党に対抗する勢力となりたいのであればなにかグランドデザインを出すしかない。なぜなら回転体をまわすような批判をしつづけても選挙の時には国民はみんなどうせ忘れているからだ。しかしそういう理念的なものは見えてこない。野党はクルクル回っている。自民党はその野党の愚かさに便乗している。

野党が自民党を批判するのであれば実質賃金の問題や今なら消費税導入の結果などが考えられる。アベノミクスが成功していると国民に思われている以上、周辺条件である桜を見る会みたいなことはクリティカルに政治を動かす材料にはならない。たとえ反社会勢力がそこに混じっていようとも単なるエラーとして処理されるだけ。自民党にとって代わりたいのであればシステムそのものの欠陥を突くしか方法論としてない。

周辺情報なんかみんなどうせ忘れるからだ。実際、桜を見る会が国民生活に影響があるかと言ったら何も影響がない。せいぜい数千万税金が無駄に使われるぐらいの話で現実的に言えばどっかの町に公共事業で無駄な橋ができたぐらいの話でしかない。政治的な倫理は問えるかもしれないが反社会勢力が参加していたとしてもそれはエラーとして認識されるだけで政治意識の高い人達にしか倫理問題としてはとらえられない。

エラーなんかみんなどうせ忘れる。同僚が仕事でミスをしたからと言って即座にその人間を解雇するのかみたいな言ってしまえば些末な話でしかない。逐一そのミスをなじるよう人間のほうがむしろつまはじきにされる。

 

とにかく桜を見る会は年があければみんな忘れている。断言してもいい。SNSだけでなく今や世の中はそういうふうに情報を処理している。決して僕は桜を見る会が問題ではないとは考えていない。しかし現象としてみんな忘れるだろうと確信しているだけである。みんな忘れることに政治的な影響力があるとは思えない。だから些末だと先んじて言っている。

 

忘れえないこと。例えば民主党政権のことはみんな忘れていない。しかしアベノミクスによって広がった格差はそれと同じぐらいのダイナミズムで世の中を悪くしたと僕なんかは感じている。しかしそれは忘れられている。おそらくめちゃくちゃ端的に言えば当時はツイッターを代表としたSNSがなかったとそれだけに尽きるような気がしている。

野党が与党を炎上させる。炎に国民が興味を示す。しかし燃えた灰には誰も興味を示さない。今、ツイッターはてなで起こっている現象は政治すらも支配している。

みんなどうせ忘れる。灰を拾うことはしない。灰は売れない。薪は売れる。桜は幹に芽吹いてこそ美しい。道路に落ちた桜の花は映えない。売れて映えるものだけが情報として流通していく。そうしてみんなどうせなにもかも忘れる。そういう時代である。