メロンダウト

メロンについて考えるよ

「負の性欲」とやらについて

ツイッターのトレンドに負の性欲なるものがあったんだが

要約すると

・男性の正の性欲 自らの種をばら撒きたい

・男性の負の性欲 自らの子孫を残せない人とはやりたくない

・女性の正の性欲 種として優秀な男性を選びたい

・女性の負の性欲 種として優秀ではない男性とはやりたくない

https://togetter.com/li/1436163

ということらしい。議論になっているのが女性の負の性欲の部分。女性は種としてふさわしくない男性とはやりたくない欲望を持っているという趣旨で議論されている。やりたくないの部分が負の性欲ということらしい。

男性は不特定多数の女性とやりたい性欲を持っているが女性はそうではない。女性は特定の男性と性交渉する選択の過程において性欲が働いている。その女性の選択こそが問題だ。そういう問題設定をしようじゃないかと議論されている。

 

恋愛の現場においても女性は選択で男性は開拓とよく言われるけれど、恋愛において女性が選択する側という優位性を負の性欲という概念でぶっ壊そうというふうに読める。

 

そういう恋愛の構造についてはいまさら語ることはないけれど男性の場合、能動的でないととにかく何も始まらない。女性は比較的に男性から言い寄られることが多く、その意味で男性から見た場合に女性の立場はうらやましく見える。

しかし女性の性欲自体が男性のそれとは違うので男性の視点で女性の性欲を見るのは間違っている。それは単純に性差と言われるものでもし女性のそういう不特定多数を選べる立場がうらやましいと考えているのであればそれは嫉妬に他ならない。

 

 

類似の議論にいじめがある。いじめられる人にも原因があるというよくあるやつだ。いじめにおいてもいじめをする人が正の欲求、いじめられる人が負の欲求と言えなくもない。いじめられる人にも原因があるは現象としてはそういうこともあると僕は見ているけどしかしそこに原因を求めてはいけない。いじめられやすい素養を持った子供であってもいじめてはいけないなんて今更言うまでもないことである。

いじめられやすい形を持って生まれてきた子供がいたとしても彼に原因を求めてはいけないように愛されやすい形で生まれてきた彼女にも原因を求めてはいけない。

先天的な条件は誰にも変えることはできない。もしその条件が許せなくてそれをやめろ俺達と同じになれ俺達と同じように正の性欲を駆動しろその可愛さをやめろというのであればそれこそが差別である。

 

女性は男性より愛されやすい。それは様々な統計からもわかっていることだ。なので男性は女性に嫉妬し結果ミソジニーになることも多々ある。女性はセクハラに悩み男性はミソジニーに悩む。そして僕はそれをとてもよくわかる。ミソジニーは男性にとっての宿命みたいなもので女性が痴漢にあうのと同じような頻度で頭の片隅をもたげる悪魔である。

その悪魔を論理的に説明しようとし、負の性欲なるもので女性にも原因があるとするのはおそらく間違っている。男性と女性は違う。平等ではない。現実的に。女性のほうが愛されやすい形で生まれてくる。結果女性のほうが選択する側にたつ。オスがメスを求めるなんてことは生物学的な原理原則でしかない。それが不平等に見えるのもわかる。男女平等、フェミニズム、ハラスメントなどなど女性ばかりが声をあげて本当は弱い立場の男性はなんで問題にされないんだという感情もわかる。

しかし私的なものである恋愛に公共的な平等原則を持ち込んでも誰もそれを採用しようとはしないだろう。女性の負の性欲が男性をミソジニーにしているは僕は完全に正しいと思う。しかしそれが公共的に正しくてもなんの意味も持たないのが恋愛というやつでだからこそ恋愛は尊いものなんだと思うぞ。知らんけど。