メロンダウト

メロンについて考えるよ

統一教会にたいし解散命令を行っても自民党の支持率は戻らない

統一教会の問題ももう4か月近くになっている。そろそろどこに落としどころを持っていくのか自民党ははっきりしてほしい。どうやってソフトランディングするのかを考えているのだと思うけど、解散命令を出しても出さなくても自民党にとっては同じことではないだろうか。

 

今回の事件のことを桜を見る会モリカケと同じレベルで考え、時間が経てば風化するものだと自民党関係者は考えているのかもしれないが、もしそうだとしたら完全に誤解している。

 

モリカケ桜を見る会は確かに問題ではあったが、ミスで言い逃れできる種類のものではあった。モリカケは職員の忖度だったり、桜を見る会は出席者が反社であることを知らなかったという一応の逃げ道はあった。また、公文書の改ざんも大変な問題ではあったが、ミスだったと言い逃れできる類の問題ではあった。それゆえ国民全体としては関心を持つ人と持たない人に分かれていた。

モリカケサクラ」を批判していたのはとりわけリベラル勢力が中心であったため、自民党はリベラルからの批判を躱し続けるだけで問題を無化することに成功してきた。多くの国民がモリカケサクラには関心を持っていなかったので自民党は真正面から付き合う必要はなかったのだろう。桜を見る会の時には反社の定義やシュレッダーの性能など明後日の方向に議論を逸らしていたが、そのようにしてメディア・野党・リベラルが疲れるのを単に待てば良かった。

しかしそのようにして問題を無化できたのはモリカケ桜を見る会が国民的な議論になっていなかっただけなのが大きな要因であった。今般の統一教会の問題では、多くの国民が「自民党は説明責任を果たすべきで統一教会には解散命令を出すべき」と答えているが、そのような状況でモリカケの時と同じ言い逃れムーブをし続ければ、むしろ自民党にとって致命傷になりかねない。実際、支持率も暴落しており、媒体によっては30%を切っているものもある。

 

 

焦点となるのが「なぜモリカケに関心を持たなかった国民の多くが統一教会の問題には関心を持っているのか」であるが、それはひとえに統一教会の問題は自民党の本質を露呈してしまったからなのだろう。

 

上述した通り、モリカケサクラの時にはミスや過誤があったとしても自民党は一応の言い逃れができていた。それがどれだけ大きなミスであろうとミスはミスであり、自民党の本質を露呈する材料としては不十分だった。もちろん当時の野党はそのミスが故意であったかどうかを調べるためにシュレッダーの性能などを調査していたりしたが、結局のところそれは証明されず黒に近いグレーのまま忘れられていったのがモリカケサクラの結末であった。しかしながら統一教会の問題では、誰もがわかる形で自民党統一教会の関係が明らかになっており、すでに言い逃れできる状態ではなくなっている。

 

30年近く前に統一教会のフロント団体である原理研究会が学生を中心に勧誘に励み洗脳商法や合同結婚式などを行い問題になっていたことは、高齢男性が多く占める自民党の国会議員であれば知っていて当然のことで、その歴史的背景を考えた時、現在の統一教会と付き合いがある議員は善悪を判断する能力に乏しいと国民に捉えられても不思議ではない。それはミスで言い逃れできるものではないため、議員としての「質」に直結する点でモリカケの時とは問題のフェーズが異なっている。

 

ものすごく簡単に言えば「知らなかったでは済まされない」のである。

 

すこし前に書いた記事だが

無神の人と箇条書きの善悪 - メロンダウト

ある種の「列挙された善悪」にたいしては僕たちは敏感に反応し、それを批判することができる。たとえば女性差別的な発言、LGBTにたいするアウティング、ハラスメント、あおり運転など社会のホワイトボードに箇条書きされたものであれば極めて迅速にその善悪を判断してみせたりする。今回の件から比べればどうでも良い発言だった森元首相の女性蔑視発言も即座に炎上し退場させられる事態となっていた。しかし今回の岸防衛大臣の発言をもってしても辞職することにはならないだろう。自民党の議員が統一教会と関係していたとしても「事前に箇条書きされていた善悪判断」に従う限り、ただちに問題だと判断しえないからである。

 

しかしながら当然、このようなステレオタイプの善悪判断に頼り切ってしまうと箇条書きされていない悪にたいしてはいとも簡単にその侵入を許してしまう。

 

思い返してみれば自民党はある種の「リアル」の上に立っていた。政権担当能力を持っている唯一の政党や保守本流のような形で、とにかく現実的というのが自民党を支える思想的な基盤だった。それにたいしリベラルは空想的で非現実的な政策を出している勢力という構図が、嘘か真かはともかく長いこと続いてきた政治風景であった。

しかしその自民党のリアルがこの程度のリアルだったのか、というのを統一教会問題により暴露されてしまった。自民党におけるリアルとは、上記記事に書いたような風見鶏的リアルのことであり、それはよく言えば清濁併せ呑むとも言えるが、しかし悪く言えば善悪を判断する気がそもそもないとも言えてしまう。

 

そのような態度は統一教会の問題をどうするのか決めあぐねていることからも如実に表れている。統一教会と関係していた議員はどう責任を取るのか、または取らないのかを明言せず、玉虫色の現実に決定や責任を埋め込んでしまおうとしているのだ。あの時はあれが現実だった、今はこれが現実だという形でとにかく現実だけを全面に押し出すことで現実『的』に振る舞いはするけれど、何が現実なのかを明言することはない。

選挙戦では統一教会と連携することが現実「的」であり、安部元総理が殺害されれば統一教会とは距離を取ることが次の現実だという形で現実を無限遡及的にエクスキューズし続けることでもはや何が現実なのかを選択することができなくなっているように見える。

 

無論、このような自民党の体質はなにも今に始まったことではない。なにか問題が起きたら国民の忘却に依存する形で問題を風化させてきたのはモリカケサクラの時から変わっていない。

桜を見る会なんかみんなどうせ忘れる - メロンダウト

しかしモリカケの時に見られたような論点逸らしは、自民党にも一握の理路があったからこそ可能だったことで、多くの自民党議員が統一教会と関係していたという事実がすでにある以上、言い逃れできる理路はもうなくなっている。メディア上でも統一教会問題で論点そらしをしている人物はほとんどいなく、僕が知っている限り三浦瑠璃さんだけが今でも論点逸らしを行っている(三浦さんはもともとけっこう好きで僕は好意的に見てるほうだと思うけれど、統一教会に関してはさすがに無理筋の話が多いように思う)

 

いずれにせよモリカケサクラの時とは違い自民党の体質がもろに露呈してしまったのが一連の統一教会問題だと言える。

反社に近い集団と関係していても「箇条書き」されていなかったので選挙協力していたというのはようするに何も考えていなかったという、ただそれだけのことではあると思うけれど、今までその自民党のリアルはあまり問題にはなってこなかった。

しかしこの現実だけを肯定する政党に政治を任せていたら危ないのではないかということに多くの人が気付き支持率が急落する事態となっている。

それは過去問題となったモリカケサクラとは比にならないほど自民党の地金を曝す事態になっているし、その「現実」を国民が知ってしまった以上、自民党の支持率はそう簡単に戻るものではないように思われる。