メロンダウト

メロンについて考えるよ

エルデンリングをクリアした感想と、まどかまぎかとの類似点

5年ぶりぐらいだろうか。まともにゲームをやった。最後に長時間ゲームをプレイしたのが無印のFF12で裏ボスのヤズマットを三日かけて倒した記憶がある。ヤズマットもたいがい理不尽だった。無印版だとダメージの上限が9999でヤズマットのHP2000万を削りきらなくてはならなかった。

同じくらい理不尽なゲームを今年はプレイした。エルデンリングである。プレイ時間は200時間近くになった。試行錯誤しながらクリアしたのが110時間。クリア後、周回にははいらずオープンワールドをただひたすら走り回るという脳死プレイにシフトした。走り回るだけでも楽しいのだが、攻略本を買いすべての洞窟や坑道を踏破していよいよやることがなくなってしまった。今度はsekiroをやろうかと考えている。ただ、長時間ゲームをやることは弊害もあると感じているので今年は自重しておきたい。たまにスマホゲーをやったり友達とスマブラやウィイレをやるぐらいが健康にはよろしいかと思う。

 

ということで、この記事はエルデンリングの感想だ。

 

私のような久しぶりにゲームをやった人からするとエルデンリングはとんでもなく面白かった。
最近のゲームをやりなれている人からすれば当たり前なのかもしれないが、装備の自由度が高く、自身で攻略の仕方を選択できるのが良かった。フロムゲー初心者は魔術を使ったほうが良いと聞いていたので、私は魔術ビルドで攻略を始めた。走り回りながら遠距離魔術で攻撃するスタイルだ。ボス戦でも遺灰と呼ばれる召喚術を使い、ターゲットを遺灰に向けている間に魔術を叩きこんでいた。しかし途中から、魔術スタイルだとエルデンリングの醍醐味を味わえていないことに気づいた。魔術だとフロムゲーの「達成感」を味わうことは難しい。フロムゲーと玄人っぽく書いているが筆者はエルデンリングしかやったことがないぞ。
さておき、フロムゲーを味わうためにビルド(戦術)を変えはじめた。時期で言えばレアルカリアという序盤のダンジョンを攻略した後ぐらいだった。直剣+盾という王道スタイルでやってみたのだが、いかんせんフロムゲー初心者の私には難しく死にまくることになった。これまで走って逃げるしかしてこなかったツケである。盾の使い方も避け方も下手すぎて話にならないレベルだった。

レアルカリアの次のマップに出てくる王都の門番竜のツリーガード戦は3時間ぐらい戦い続けていた。その後、モーゴット(王都の大ボス)にも苦戦し、さすがに無理ゲー過ぎると思いまたビルドを変え、最終的には右手に黒の刃と神肌剥ぎ、左手には盾+祈祷、防具は軽いものを選びローリングで回避しながら戦うスタイルに変更した。中距離から黒の刃の固有戦技である死の刃で割合ダメージを狙い、近接では祈祷でバフをかけながら出血派生した神肌剥ぎでダメージを重ねていくことで楽しみながらプレイすることができた。うまい人は爪やセスタスで殴り合いをしているみたいであるが、それに憧れてプレイするとストレスのほうが勝ってしまうように思う。自身の腕前に合わせたビルドで攻略していくのがエルデンリングを楽しむコツなのだろう。


それにしても面白いゲームだったのだが、何がここまで面白かったのかは、正直あまり言語化できる気はしない。
面白かったゲームなのは間違いないけれど面白いゲームと言えるのはかよくわからない。エルデンリングが面白いと思えるのは結果論に過ぎないようにも感じている。

プレイしている時にはコントローラーを投げたくなることが幾度もあった。特に神肌の二人という強ボスと闘っていた時だ。二人と言いながら三人出てきたり、理不尽すぎて完全にイライラしていた。一人、二人と倒し三人目と相対していた時、あと一発で倒しきれると集中していた瞬間、後ろから四人目に殴られ死亡した時は思わず声が出てしまった。あのデブとノッポのコンビは絶対に許さん。
それでも面白かったと言えるのは結局のところクリアできたからで、途中で投げた人にとっては面白いゲームとは言えないようにも思う。私も途中で投げ出していたらクソゲーだと言っていそうだ。そのぐらい理不尽の連続だった。ボスはもちろんのこと、理不尽なマップやモブの数々。初見だと何を言っているのか意味不明なNPC。プレイヤーにとってはまったく要領を得ないことばかりのゲームだった。しかしその要領を得ないものがだんだん輪郭を帯びてくるようになる。それがエルデンリングの面白さであるのだ。
初見だと攻略不可能かに思えるボスも一戦一戦をきちんと消化し「点」としてつなぐと、その点が線となり、攻略への糸口が見えてくるようになる。それが楽しい。レベル上げして物理で殴るRPGとは一線を画す面白さがある。エルデンリングのボスはすべてのアクションに回避方法が用意されており、ボスのアクションをひとつひとつ分析し、点として積み上げると攻略できるようになっている。その点を積み上げる苦労ゆえにボスを倒した時の喜びはひとしおとなる。どれだけ理不尽なボスだろうとも、いや、理不尽なボスだからこそ、より報われるように設計されているのだろう。

 

また、それはゲーム全体を貫く世界観にも同じことが言える。エルデンリングのNPCはほとんど何を言っているのかわからない。しかしながら意味不明なことを言うNPCも、複数のNPCの発言を繋ぎ合わせることで朧気ながら狭間の地(エルデンリングの世界)がどのような世界なのか、その輪郭が浮かび上がってくるようになっている。
すこしネタバレにはなるが、エルデンリングの世界観を説明してみると、社会現象となったアニメ『魔法少女まどかまぎか』に似ているところがある。エルデンリングは黄金律と呼ばれる世界のシステムを巡りそれぞれのキャラクターが奮闘する物語だ。それはちょうどまどかまぎか最終話で、きゅうべえが変身するまどかの願いにたいし「それは因果律への反逆だ」と言うのと似ている。エルデンリングも因果律もとい黄金律を中心に物語が進行する。その「律」をひっくり返すのかどうかという物語の最終軸はまどまぎとかなり似ている。因果律と黄金律、システム化された世界への反逆、適応、従属、その狭間を駆け回るのがエルデンリングのプレイヤーなのである。

 

話を戻そう。エルデンリングの世界観がどのように紡がれているのかだ。エルデンリングのNPCはまったく独立した意味不明な存在のように見えても、どこかで必ず物語として紡がれているのが面白い。NPCの要領を得ない発言もひとつひとつが「点」であり、ボス攻略のようにクリアした時にその点が逆算的に組み上げられ、プレイヤーへの報酬として提示されるのがエルデンリングの物語の特徴だと言える。まどまぎでほむらちゃんが第一話でどうしてあのような行動を取っていたのかがわかるようになるのと同じような感じである。帰納法的とも言えるけれど、とにかくプレイしている間は何が起きているのかよくわからない。しかしクリアするとなんとなく物語が見えてきて、なんのために理不尽なボスと闘ってきたのかがわかるようになっている。わかるようになるというよりも考察可能なピースが集まってくると言ったほうが正確かもしれない。とはいえ、最後までメインヒロインであるメリナが誰なのかはよくわからないのだが(笑


つまるところ、結論としてはエルデンリング面白いゲームだと言えるものの、その結論に到達するまでが並大抵ではなく、初心者の私にとってみればなんのためにこんな理不尽と闘っているのか自問自答することが多々あった。正直言えばストレスのほうが勝っていたように思う。もちろん、ストレスとは別にアクションの面白さは当然あるのだが、実際にプレイしている時はそれどころではない戦いの連続で楽しんでいる余裕は少なかった。
それでもなおエルデンリングをおすすめできる理由として、そのストレスや理不尽が報酬として必ず返ってくるようになっているためだ。
死にゲーはドMの人におすすめだとよく言われるけれど、死んで気持ちよくなってしまってはエルデンリングではない。死ぬことでイライラし、理不尽を蓄積し、その理不尽を克服した時のカタストロフィーにこそエルデンリングの醍醐味がある。したがって途中で投げ出さないことを条件にすればであるが、というかそれが一番の難関であるのだが、普通にイライラする人にこそおすすめできるゲームだと言えそうだ。


ぜひみんな今からでもプレイしよう。私はいつでも対人で待っているぞ・・・早くDLCこないかな