またまたいつも書いているような記事とは全然関係ない記事です。こういうのも書いていこうと思います。こういう状況なので政治について書くこともあるにはあるんですけど、菅政権はもはやだれがどう見ても駄目なので批評するまでもないというか
記事を書く時はいちおう読者さんの気づきになるかもなと、すこし意識して書いてみたりするのですけど気づく気づかないのレベルではもはやなくなってるんですよね、政治は。なのでちょっと別の話題です。
麻雀に関して書かれた増田があったので僕もちょっと書いてみようかなと
麻雀、けっこう好きで遊んでるんですよね。ネット麻雀も普通の麻雀も学生のころからやってたりします。徹夜麻雀とかはさすがにやらなくなりました。もう体力的にできそうにないですが。
それはそうと麻雀に関して常に議論の種になっているものがあります。
それがタイトルにも書いた通り、麻雀は統計学のものなのか、あるいは人文学のものなのかというものですね。麻雀に関して人文学という言い方をすることはあまりないですが、学問的に分類すればそうなるのかなと思っています。麻雀が人文学とはどういうことかというと、いわゆる「人読み」と呼ばれているものですね。麻雀は対人戦なので相手の打ち方を知っていると押し引き(危険な牌を捨てるかどうか)の指標になったりします。
一方で麻雀は統計学のものだと考えられることもあります。というか今はこちらのほうが主流ですね。牌効率と呼ばれるものが代表的です。例えばイーシャンテンにおける両面固定でシャボを捨てて安牌を残したりターツオーバーで6ブロックに組んだりする(知らない人から見れば何を書いているのかわかりませんね)のは統計的には不利だとされています。
最初に統計で麻雀を解析しだしたのがたしかとつげき東北さんが最初だったように記憶していますが、それから統計やデータに基づいた打ち方が主流になり、今日のデジタル麻雀と呼ばれるものとなりました。
ざっくり分類すると人読みに特化した人文学としての麻雀と、統計やデータに基づくデジタル麻雀とに分けられますけれどこれが麻雀の面白いところなんですよね。デジタルだけでは成績が頭打ちになり、人読みを行おうと思うと牌効率を曲げてしまいその読みが結局は成績を悪化させてしまうといったことがあります。このバランスが非常に難しい。科学的・統計的な観点から考えるに、たとえばりんごは木から落ちる。絶対に。
統計はその事実から考えを組み立てていくものだと思いますが、人文学的に考えればりんごが木から落ちないこともある。それが厄介なところです。たとえば麻雀では1・9牌をチーした瞬間に役牌かホンイツを普通は疑います。相手がアガリに向かうだろう(=リンゴは木から落ちる)ことを大前提に思考を組み立てるので役牌およびホンイツ、稀に三色や一通を疑います。なのでこちらは役牌がドラだった場合に打ち出さない(もちろん手牌や状況によります)ことになりますが、いっさいアガリに向かわない鳴きを入れてくる人がたまにいます。その時に手を曲げると相手のブラフに降ろされることになる。ポーカーでいえばブタで強気にレイズしてくるといったことが麻雀でもたまにあります。相手が極度に守備的な打ち手の場合、または他家が振り込めないような点棒状況のばあいに有効だったりします。そういった意味でリンゴが木から落ちる=相手がアガリに向かってるとは限らないのが麻雀の面白くも難しいところなんですよね。
だからこれだけデータや牌効率が周知されている今でさえ強い打ち手と弱い打ち手、または守備的と攻撃的に分けられることになります。
こういった人読みと言われるとリアルな対人戦を想定して考えられがちです。上記の例のようなクソ鳴きを仕掛けてくる人はそうとう限られていますが、戦術という意味では誰が相手かわからないネット麻雀でもあったりします。
ネット麻雀といえば天鳳が有名で僕もやっていますけど天鳳は上卓、特上卓(4段~6段)、鳳凰卓(7段~天鳳位)とに分けられていてそれぞれ戦術を変えたほうが成績を残すことができたりします。攻略の仕方といったほうがいいかもしれませんね。
たとえば上卓では2シャンテン以下はすべて降りて面前で張ったら即リーチだけでいけます。天鳳では4着しかポイントがマイナスにならないので押し引き判断が荒い上卓では誰かが勝手に振り込んでラスになってくれるためです。
特上卓はデジタルによる牌効率と押し引き判断、あとはざっくりした鳴き効率でいけると思いますが、6段から7段になる際はけっこう大変です。
問題は鳳凰卓ですね。僕も長いこと鳳凰卓で遊んでいるのですけど8段止まりで攻略してるとは言えない前提で、あえて書いていきますけど
ますはじめに、最初に鳳凰卓にきた人がやらかしてしまうのがオリすぎてしまうことですね。なんだかんだ上卓と特上卓は迷ったらおりていればなんとかなってしまうんですが鳳凰卓ではそんな単純にはいかないことが多いです。その点で戦術=人読みも変わってきます。
あとはけっこう逆張りが効くことがあります。たとえば親がラス目の場合、天鳳ではとにかく親を蹴ってしまうことがセオリーとなっていますが、わきの他家2人がそう考えると2人は牌効率よりも速度重視であがりにいくことになります。素点よりも速度を重視している点で脇2人は手を曲げている可能性が高くなり、自分だけ通常の牌効率で打てば優位に立ち回ることができたりします。もちろん3人がそう考えると親が連荘する可能性があがり、3人のラス率があがることになるのでセオリーではないですが逆に打つことが時に優位になることがある。それも鳳凰卓ではこう打つだろうという人読みの部分ですね。
あと鳳凰卓で長いことやってると面白いのが戦術のトレンドがあったりすることです。昔はとにかく鳴き重視で満貫のテンパイよりも1000点であがってラスを回避するのが主流でした。このころに天鳳とリアル麻雀の違いがけっこう話題になったりした記憶があります。麻雀はとにかく面前リーチだというのが昔からの主流でしたけどそうではない麻雀を示したのが天鳳だったように記憶しています。なので当時はとにかく堅守速攻で1000点2000点をあがりにいく。それが鳳凰卓のトレンドでみんながそうしていたのでひとりだけ面前で重くすすめているとジリ貧になってラスになる。そんな状況でしたが、今はもうそんなことはないですね。今は鳴く時は鳴く、鳴かない時は鳴かないという牌効率が主流なので素点効率が悪いスピード重視で打つと逆に打点不足になったりします。
ネット麻雀における戦術レベルでもやはり人読みは存在しますし、麻雀は単純に統計だけで切り取れるものではないんですよね。繰り返しになりますがだからこそ面白い。
4人ていうのがミソなんですよ。2人だと完全な牌効率ゲームになってしまいます。他家がいることで逆張りが効いたり牌効率を曲げることが必要になったりする結果、かなり複雑なゲームになる。
というわけで麻雀は統計をベースにしながらも人文的に考えてこそのゲームだということが言えます。
リンゴが落ちる木があったとしたらみんなリンゴを食べにそこに集まるだろうということを予測してみかんの木を独り占めできたり
リンゴが木から落ちないこともあるし、明日にはそこにリンゴの木がないかもしれない。そういう妄想を膨らませた結果、逆に取るべき時にリンゴを取れなかったりすることもある。変に人と違うことをやろうとして牌効率を曲げてしまったり変なオカルトが生まれたりするのですけど、それでもやはりリンゴの木を見てるだけでは勝つことができない。
それが麻雀の面白いところなんですよね。