メロンダウト

メロンについて考えるよ

麻婆豆腐と上級弱者

最近よく佐々木俊尚さんが言っていた上級弱者という言葉を思い出す。

上級弱者とは政治的スペクトラムの変化によりこれまで弱者であった人々、主に女性や障碍者の方のプレゼンスが大きくなり相対的には強者になったという話だと思われる。いわゆるアイデンティティーポリティクス批判の一種であり、佐々木さんの言説には批判や同調含め様々な反応があったように記憶しているが、個人的に気になったのは「強さ」はどこにいったのだろうかという点だった。

虚実関係なく現行の社会では被害者の声がよく聞かれ拡散されることは間違いない。メディアも被害者の声を取り上げ社会問題として問題提起することがしばしばだ。悲劇は拡散されやすくニュースバリューがある。そこで弱者になることで強者になろうという政治的転倒が起こり弱者は単なる弱者ではなくなり上級弱者と呼ばれるに至ったと、およそそのような構図なのだろう。

とはいえ単純に考えて弱者の声がよく聞かれる社会は間違ってはいない。政治に救済を求める必要があるのは主に弱者であるため、弱者が声をあげられる社会は自己責任社会よりはるかに良い状態である。

しかしながら上級弱者という言葉が仮に真実だと考えた時、弱者がその弱者性に縛られるという別の問題が起きるのも考えられる。弱者であることが政治的なプレゼンスとして機能し、多くの人に声を届けられるランドマークになれば彼がその弱者性を失った時、その影響力は減少することになる。そこで出てくるのが弱者であり続けようとする人々なのだろう。

人はいつまでも被害者ポジションを取り続けるわけにもいかないのだが、弱者で居続けることが彼の政治的プレゼンスを担保するものになれば、彼はその被害感情を手放すことができなくなってしまう。それが上級弱者という言葉の真意ではないかと思うのだ。おそらく佐々木さんは弱者を批判しているのではなく弱者が置かれている政治的言説、その環境について疑義を呈しているのだと思われる。佐々木さんの言説は一見するとアイデンティティーポリティクスを批判しているようにも見えるが、しかしその裏では弱者が救われるとは本来どういうことなのか、いつまでもアイデンティティーに縛られていいのかという、実存的救済にたいする視座が垣間見えるように、僕には見える。

鬼滅の刃ではないが、弱者を救うことで強さを獲得し、そしてその強さでまた次の弱者を救うというその循環こそが肝要であるように思うが、弱者を弱者として温存し政治的影響力を保持し続けるというのはその循環機能を喪失することと同義であり、そうなると強さの議論が居場所を失い明後日の方向に飛ばされることになる。こうした上級弱者が作り出す「循環喪失社会」においては強さを持つ人、つまり救う人がいなくなりマクロで見れば全体が困窮し、リソースの奪い合いになり、そこでまた誰が一番かわいそうかという弱者競争が生まれることになるのだろう。個人が強さを獲得するという言説は右からも左からも失われMMTのように弱者を救済するリソースは無限に供給できるかのように思い込むことで現実的思考を逃がし続けているのが強さを失った「上級弱者的社会」のようにも見える。

 

 

こうした話はおそらく政治的言説に限った話ではない。努力や成長といった普通の言説も自己責任社会の消滅と軌を一にしてあまり聞くことはなくなっていった。人々の立場や職分などは表面上フラット化され誰もが平等でありのまま存在するリベラル社会になった。そう言えば聞こえは良いけれど、逆に言えば人々は強さへと駆り立てられることがなくなり弱くなったとも言える。おそらく、時代が推移するにつれ僕たちは弱くなっているのだと思う。出世したいと考える人も少なくなり、共同体も失われたことで互助関係による強さの獲得や価値基準にもとづく意志力及び社会にたいする動機付けなどを失い、裸のまま社会と対峙するようになった。実存が剥き出しになったことで鬱病が増え、神経症的な言説がSNSを中心に巻き起こり、他人の愚かさを逐一発見し第三者に報告糾弾し、自分自身の弱さは上級弱者というカードとして温存しながら数の論理を使い疑似集団的な強さを行使する。つまり弱さも強さも方法論としてのみ行使され、「弱い人は強くなったほうが良い」「強い人は思慮を持つべきだ」といった道徳や倫理を言うことができなくなったため、上級弱者というアクロバティックな表現を使うしかなくなってしまったのだろう。単に弱者は頑張ったほうが良いといった普通の言葉は機能せず即時反射的にマチズモとして回収される。そのため、何か尾を引く表現を使うことで弱者が置かれている環境を婉曲的に描写することが必要となる。その表現の難しさこそが今の社会を表しているように、僕には見える。

 

無論、このような強さを求める話は率直に言ってマチズモのそれであるし、僕自身が強いかと言えばまったくもってそんなことはない。とはいえやはり人間生きている限りなにがしかの強さは必要だ。

突然だがその筆頭が家事スキルである(脈絡どこ行った2日目)

昨日豆腐を買いすぎたので明日の夜は麻婆豆腐をつくろうかと企んでいる。甜麺醤とひき肉を予め炒めて置いておく。ひき肉が使い切れなかった場合、冷凍しておくと肉味噌としても美味しいので心配無用だ。冷凍ご飯と一緒にレンチンして上に卵を乗せるだけでご馳走である。さておき豆腐は少量の塩を入れたお湯で下茹でしておく。フライパンに油を入れにんにく、しょうが、唐辛子を炒め香りを出したらひき肉、ネギ、中華スープを加える。豆板醤、コチュジャン一味唐辛子などで辛さを好みの味に調節したら豆腐、にんにくの芽を入れ水溶き片栗粉を加える。水溶き片栗粉は火を止めてから入れすこし焼き、最後に香りづけでごま油と醤油、そして食べる直前に花椒を散らすと一気に本格的な味になり上級マーボーの完成です。