メロンダウト

メロンについて考えるよ

杉田水脈氏とリベラルの4年間

あけましておめでとうございます。今年もつらつらと書いていきます。

 

昨年末に杉田水脈氏が辞任した件について何か書こうと思っていたのですが、年末年始の雰囲気につかったまま三が日が過ぎてしまいました。どうでもいい話ですが餅を食べすぎて3kgほど太りました。またチャリ通勤ダイエットやろうかと思案中です。

 

さておき杉田水脈氏の件についてです。

杉田氏は新潮45にて「LGBTは生産性がない」と書いたことで左派リベラルから長いこと批判されてきた。今回の辞任に際しても「当然だ」「遅すぎる」などの声があがっていた。さらには杉田氏を政務官に任命した岸田総理の任命責任にまで問題は波及している。

辞任に関しては様々な理由があるのだろうけれど、杉田氏のことを差別主義者だというのは歴史修正ではないかと個人的には思っている。新潮45の騒動があったのが4年前ぐらいで、僕も当時わざわざ図書館に行って読んだので件の論文の内容をよく覚えているのだが、あの論文は差別とは言い難いものだった。

 

杉田氏の論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」の内容を簡単に要約すると以下のような論旨である。

1・日米における社会構造の差異を指摘

LGBT差別はキリスト教に由来するもので、聖書には同性愛を性的逸脱と解釈し罪とする記述がある。それゆえアメリカではキリスト教系右派が同性愛を差別することが長年社会問題となってきた。しかしながら非キリスト教文化圏の日本ではキリスト教によって引き起こされる同性愛差別はそもそも存在しないと杉田氏は指摘する。結論として日本社会においては同性愛に関して差別というほどの差別は存在しないと述べている。

2・マクロとミクロの問題を分ける

とはいえ、日本においてLGBTへの理解が乏しいのが事実だと杉田氏は認めている。しかしそれはアメリカのような社会問題とは違い、親子関係などのもっとミクロなコミュニケーションの問題であると主張する。

3・国家がマクロな政策で支援する是非を問う

杉田氏はLGBTへの理解を深めるためにはミクロな相互コミュニケーションのほうが重要だとまとめる。国家は法を整備したりといったマクロな介入しかできないうえ、そのリソースにも限度がある。したがって杉田氏の認識ではミクロな問題であるLGBTへの理解促進に歳費を使うのは費用対効果(生産性)が弱いと指摘する。

 

 

以上が杉田氏が新潮45に寄稿した論文の内容であった。

つまるところ「LGBT支援の度が過ぎる」と題された杉田氏の論文は彼女の解釈でLGBTの問題を捉え返し、そのうえでマクロな国家論を語ったものだったのだ。肝心の「LGBTは生産性がない」といった箇所は「3」のマクロな国家戦略を考える上で述べられた事実の適示に過ぎない。生産性という言葉の金属的な響きゆえに炎上することになったが、全体を通して読めば杉田氏が差別主義者だとは到底考えられないものだとわかるだろう。LGBTにたいする視座が違うだけであり、杉田氏がLGBTの問題があることを認め解決しようとする姿勢は容易に読み取れるものだった。

 

本来リベラルがやるべきは杉田氏の本論にたいして批判することだったのだろう。たとえば杉田氏はLGBTは社会問題ではないと主張するが「日本においてもアウティングなどの問題があるため、LGBTにたいする理解は社会問題である」といった指摘も当然できるだろう。あるいは「杉田氏が提案するようなミクロなコミュニケーションが可能であるかはマクロな空気に依存する部分が大きく、国家・社会全体でLGBTにたいする理解を深めることはやはり重要だ」といった批判も可能である。また、同性婚の法整備に関してもやはりマクロに考えるべきものである。

 

いずれにせよ杉田氏の主張はおおむね保守とリベラル、その考え方の違いを述べたものに過ぎない。リベラルが海外から問題を輸入してくるのにたいして保守勢力は日本の文化的背景を念頭に置くことで反論するといった政治思想の違いをLGBTを具体例とすることで概観するものだった。

しかしながら当該論文が掲載されて以降、「LGBTは生産性がない」という言葉だけがひとり歩きし、本論にたいする批判や対話は事実上不可能になってしまった。杉田氏が何か発言すれば即座に差別主義者だといったレッテルが先行してしまうし、逆にリベラルも杉田氏や杉田氏に類する保守派が何か言ったところで「保守=反LGBT」といった先入観が勝ってしまうことになる。このような状態では杉田氏が辞任するのも無理からぬことだったのかもしれない。杉田氏の辞任によりリベラルが勝ったと、そういう認識の人もいるかもしれないが、個人的には4年もの間、論文を読むこともなく同じ問題を擦り続けてきたリベラルとの対話、その不可能性を象徴するような件だった。杉田氏は差別主義者だから辞任したのではなく単に「おまえらがうるさい」から辞めたのである。それは辞任する際に述べた「国会審議に迷惑をかける」「差別だとは思っていない」という発言からも推察される心境である。

今回の件だけではないが、誰かの発言を拾ってきてその発言の意図や内容を無視し言葉尻だけを取り上げ辞任に追い込むようなことをしている限り、リベラルが勢力を伸ばすことは2023年においてもまずありえないだろう。杉田氏の論文を燃やし続けたツイッター上のリベラルよりも杉田氏の論文のほうがよほど対話に開かれたリベラルのあるべき姿に見えてしまうからである。