メロンダウト

メロンについて考えるよ

宮台さんの炎上を見ていて

珍しく宮台さんが炎上していた。

 

社会学者の宮台真司、処理水放出反対派の出鱈目解説を「すばらしい。本質を抽象的に概念化」と絶賛、さらに誤りの指摘を罵倒。 - Togetter

 

 

 

トリチウムが生体濃縮するか否かに関してはどうやらしないみたいである。

しかしながら宮台さんが出演されているビデオニュースドットコム(僕も会員なので見てみた)では

体内に取り込まれたトリチウムは取り込まれた組織の新陳代謝のスピードによって体内にとどまる時間は異なるものの、長いものでは15年間も体内の組織内にとどまり、その間、人体を内部被ばくにさらし続ける場合がある。トリチウムの人体への影響はセシウムのように単に体内に存在している間だけ放射線を出す放射性物質のそれとは区別される必要があると河田氏は言うのだ。

と解説されている。

トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない(河田昌東分子生物学者) -インタビューズ 無料放送

 

トリチウム代謝するものの依然として内部被爆の可能性を捨てきれないというのが宮台さんはじめビデオニュースドットコムの見解なのだろう。

その見解をもってしてトリチウムは生体濃縮しないし安全基準をクリアすれば海洋放出しても人体に影響はないとする政府の見解に反対している。

どちらが正しいのかは僕にはよくわからないが、さすがにこれだけデータが揃っていると政府の見解が正しいと判断すべきだし、東電が出したデータは信用できないと言う宮台さんの意見はさすがにちょっと飛躍しすぎではある。

宮台さんはもともと反原発運動に参加していたこともあってか、原発に関してはリスク0を前提として論を展開しているが、IAEAの安全基準が数年ごとに変化していくような放射線の問題に関してはリスクが0になることはない。まだ科学的にもよくわかっていない部分が多いのだろう。そのため、疑わしい点があればすべて反対というスタンスを取ると関係ないところから反対する理由を引っ張ってくる陰謀論者と見分けがつかなくなってしまう。ディープステイトや人工地震STAP細胞なども可能性としては0ではないためだ。実際、ディープステイト論者の原口一博氏が海洋放出に反対しているし陰謀論と親和性が高い問題ではあるのだろう。

トリチウムの生体濃縮説は処理水で飼われた魚を研究するといった実証実験から生体濃縮はしないと判断されており、人体への影響はないと考えるほうが妥当である。ただ、詳しいことはわからないが、実験のモデルを変えたり変数を入れ替えたりすれば生体濃縮が起きる「可能性は0ではない」のだろう。それを根拠にして海洋放出に反対すれば当然、批判がくることになるのは明らかではあるが。

 

それよりも冒頭の田畑さんのツイートのほうが気になってしまった。知識人として死んだはさすがに言い過ぎである。

なんでもそうだけれど専門外のことについて間違ったことを言うのは誰にでもあることで、記憶に新しいところで言えばコロナ禍で「お医者様」が生権力を無視してあらゆる社会活動をストップするべきだと言っていたり、自身の身の回りの問題意識や知見・思考フレームを社会全体に敷衍して物事を捉えるのは誰にでもあるように思う。そういう主観的意見を述べると往々にして批判されるので、都度修正していけば良いと思うが、ただその批判が人格やその人の専門性までまるごと否定するようになると話は違ってくる。

宮台さんは社会学者としては日本を代表する人で制服少女たちの選択やオウム研究などは今でも参照されており、実際、僕なんかには想像がつかないくらい頭の良い人なのだろう。著書を読んだり話されているのを聞くとよくそこまで言語化できるなと感心することが多い。現実の諸問題を理念的・記号的枠組みに落とし込む能力にかけて言えば日本ではトップクラスの人物であるように思う。

そういう宮台さんの仕事を知っているので処理水がどうだという専門外のことで知識人として死んだなどと僕はジャッジしないしするべきでもないと思うけれど、ただ、こういうワンミス即死みたいな判断をする人間が増えている印象がありそちらのほうが問題なのではないかと思ってしまった。

 

ツイッターで専門外のことに関して書いたら批判がきて社会学という学問分野にまで波及し知識人として死んだと言われるのはキャンセルカルチャーと構図がよく似ている。

学者や芸能人がプライベートで不倫、部下にパワハラをした。では彼(彼女)の研究や出演作品もまるごと見る価値がないねとするキャンセルカルチャーと冒頭の田畑氏のツイートは何が違うのであろうか。僕が知る限り田畑氏は反リベラルでキャンセルカルチャー反対の立場であるはずだが、ところ変わればキャンセルカルチャー的構図に躊躇がないのを露呈しており、そのようなカメレオン的で自身がなにを言っているのかに関して自覚がないほうが単純に間違ったことを言う人よりも危険だと個人的には思う。「専門外のことに言及したら知識人として死んだと言われる」のと「プライベートで不倫したら仕事を失う」のは構図としては同じであり、間違いを針小棒大に捉える点で何も変わらないのである。

まあでもアンチキャンセルカルチャーもいまや党派性のひとつに過ぎないし、そういう党派性をひっぺがすためにもやはり宮台さんの言葉はまだまだ必要なんじゃないかなと思いました。

 

間違いは訂正すればいい、という単純なものではないと思いますがタイムリーな本が昨日届いたので読んでます。