メロンダウト

メロンについて考えるよ

自民党支持率から見るにインターネットは政治に影響を及ぼしてなどいない

内閣支持率が55%といったニュースのブックマークコメントに「なぜこんな政党を支持できるんだ」といった主旨のコメントが並んでいた。僕自身もそう思う。なぜここまで陳腐な政権を支持する層がいるのかわからない。

 

IT担当大臣、小泉進次郎氏の件、今井絵理子氏の件、アベノミクスの失敗、実質賃金の低下、安倍総理の「憲法改正を成し遂げたい」等々

与党を批判する材料をあげればきりがない。森友加計問題も結局有耶無耶のまま消えてしまったし。それでも自民党支持率は過半数を超えている。

 

いわゆるネットリベラル層から見ればこんな馬鹿げた自民党を支持していることこそがポピュリズムであり、批判すべきとなるのだろうが

しかしそんな単純な話なのだろうかとも同時に思う。

 

そもそもインターネットが政治にどれほど影響を与えているのかということに戻って考えるべきではないか。

昨今、ネットの影響力が取り沙汰されることが多い。インターネットは現実と同じで人を罵倒すれば訴えられることもあるし、倫理にもとることをおこなえば炎上する。インターネットと現実はリンクしているといった考えが一般的な認識になりつつある。

 

しかし世論調査の結果を見るに政治とインターネットはそこまでリンクしていないのではないかという疑問が出てくる。

N国党やれいわ新選組の躍進などインターネットの影響で実際の議席を獲得する動きもあるが大勢は何も変わっていない。いまなお自民党一強で支持率が過半数を超えている。

インターネットがダイレクトに議席数に反映するのであればここまで自民党が強い事態にはならないはずである。

一言にインターネットといってもクラスタごとに固まっているので自民党ネトサポから見れば当然の結果に見えるかもしれない。

しかしここまでの支持率を維持しつづけているのはインターネット的視点からすると強烈な違和感があるのだ。

 

結論から言えばインターネットで政治のことについてああだこうだ言っている人達は単に意識高い人達ぐらいにしか思われていないのではないのだろうか。

同じような話で一般人が自己啓発や宗教界隈の方を見る時の視点がある。政治に明るい人間でもそういう話になると最初から相手を別の存在としてまともに取り合わない。わけのわからないことを言っている人達と切断処理する。

そういった断絶が政治でも起きているのではないかと感じている。インターネットで政治の話をしている人達は変な連中だと思われている。実際、ネットの政治議論は宗教的ですらある。例えば

「僕はN国を支持しています。NHKはぶっ壊すべき。」

などと書くと政治に明るい人間達からあんな政党を支持しているなんてポピュリストで馬鹿だなといった罵倒が飛んでくる。

そういった政治意識の高いめんどくさい人間に関わらないようにするのは当然の行動である。

結果としてインターネットで政治議論する人達とそれに参加しない人達に二分され、インターネットが政治に与える影響は限定的になる。

なのでリベラルとか公益のような政治理念は無視され実利的な投票行動が実際の政治の現場に反映されることになる。実利的なことで言えば株価を維持している自民党を支持して貧困?そんなもん知るかといった投票行動になるのは当然の結果と言える。

以前にも似たような記事を書いたことがあるのでよければ

plagmaticjam.hatenablog.com

 

 

 

補足的にですがリベラルと保守の関係についても愚考します

自民党は支持基盤として保守層が多い。現状維持を望む保守的な若者、既得権を手放したくない経団連、株価が堅調であればいい投資家。現状の生活をできるかぎり続けていきたい層が自民党を支持しやすい。

いっぽうでリベラルは現在の生活に満足していないで変化を望む層を支持基盤として取り込みやすい。非正規、生活保護世帯、LGBT、被差別者などなど。

自民党保守政党かというとそうではない政策も行っている。氷河期世代への就職支援もそうだし軽減税率も一応は貧困層に配慮しているといった形になっているので一概に自民党が保守、立憲やれいわがリベラルといった区分けができるわけではない。

 

そもそも日本におけるリベラルは奇妙な形になっていてリベラル的で世間的に良いもの認知されている「価値観のみをインストールしている保守」がかなり多いのではないかと思う。

LGBTには配慮しなければいけない、障碍者も、貧困も、男女差別も、うつ病も配慮しなければいけないなど具体的な事例について知識的にその価値観を知っていても

じゃあパチンコやたばこなどの事例になると途端に蔑み罵倒するような言説がみられる。ギャンブル依存もうつ病と同列の精神疾患であるのに具体例が変わると態度が変わる。このような具体的価値観のみをインストールしているリベラルのふりをした保守が多い。

そうした具体例の流布を焦点にしている限り、日本においてリベラルが保守に勝つことはないだろうとも思う。

本来、リベラルとは具体的な知識の集合を言うのではなく自由と進歩を主とした理念的な思考形態を言う。具体例について思考を放棄して世間の変化に従うようなことを言うのではない。

だから自民党支持でリベラルという一見すると矛盾した考えに矛盾を感じることなく投票する人達がでてくる。これが日本におけるリベラルの失敗かつ自民党一強の根本的な理由だと僕は思っている。

リベラル的武装をした保守+本来の保守層を取り込んでいる自民党に今のやり方でリベラルが勝てるはずがない。

 

自由とは何か、なぜ自由は大事なのかといった理念上の話をしなければおそらくこのまま行くだろうけれど

自民党文部科学省は国立大の文系学部廃止などとと言っていたので甚だ戦略的である。