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スフレパンケーキ選挙~衆議院選挙2021感想~

 
スフレパンケーキの作り方を知っているだろうか?まず卵を割り卵黄と卵白を分離する。卵白を混ぜメレンゲにし、別の器で卵黄・ホットケーキミックス・バター・塩を混ぜる。次に両者をさっくり混ぜ合わせ、できた生地を鉄板で焼く・・・そんな選挙だった。
自民党は卵白をメレンゲにするように政策論争を回避しゆるふわ政権のイメージ戦略をとっていた。立憲民主党という卵黄は共産党というホットケーキミックスと混ぜられ、れいわ新選組という美味しいけどカロリーが高いバターが加えられた。そこに追加されたのが社民党という塩である。
それをインターネットという鉄板もとい炎上装置のうえに乗せ焼いていく。ゆるふわスイーツの作り方と酷似していた。
 
冒頭からわけのわからない例を出してしまったけれど結局選挙で分かれ目になったのは各党のイメージ戦略だった。総裁選時の自民党は政策的にはリベラルに歩み寄ったように見えたものの、選挙前になり成長と分配の分配を言わなくなったり、甘利氏を幹事長にするなど安倍麻生路線と変わらない旧来の自民党と同じものであった。あるいは選択的夫婦別姓についても解答を濁したり、岸田総理はリベラルなのか保守なのか判然としないまま選挙戦に突入したのが結果的に功を奏した形になった。政策的には何もいわず、メレンゲのように体積だけ膨張させ無味無臭かつゆるふわなイメージを取っていれば政権は維持できるというなんとも身も蓋もない選挙であった。
それにたいする立憲民主党は匙加減を間違えた形になり、味のバランスがめちゃくちゃになってしまったのであろう。野党共闘が失敗だったのか成功だったのかは議論の余地があるけれど立憲民主党は「都市の食べ物」であるスフレパンケーキをメインとして売り出す形になり、惨敗した。
選択的夫婦別姓に代表されるようなジェンダー問題を選挙の争点にしようとしていたが国民から見ればそれらはデザートに過ぎず、主食を提供しないレストランは国民から見限られる形になった。実際、選択的夫婦別姓はコース料理の一番最後にくるデザートのようなものであり、プライオリティーが低いと考える人は多いであろう。レストランに入る時に期待するのはデザートではなくメインディッシュのほうである。デザートを全面に押し出してもお客さんは来ない。当たり前と言えば当たり前である。スフレパンケーキのような都市の食べ物をありがたがるのは都市の住民だけであり、全国から見ればローカルフードに過ぎない。それを日本人の主食にしようというのは端的に言って傲慢であり、きちんと経済政策・外交安保・憲法改正などをどう料理するか考え、「一汁三菜のバランスの取れた日本食」を提供するべきだった。女性と都市住民に喜ばれるスフレパンケーキは美味しいけれど主食にはならない。それは選挙前からずっと言われてきたことであろう。「インターネットというローカルな世論」に迎合し、女性やマイノリティーといった都市の論理に埋没したリベラルが選挙で勝てないのは投票箱を開ける前からわかっていたことだ。
 
自民党立憲民主党がスフレパンケーキを売り出すことにほくそ笑み、ふわっふわのメレンゲを提供していた。メレンゲを加えることでパンケーキは見栄えが格段に良くなり、インスタ映えする。それにより立憲民主党は党の方針を見誤ってきたのであろう。自民党立憲民主党マッチポンプ的な関係にあり、自民党立憲民主党が選挙戦略を見誤らせるように動き、立憲はまんまと乗っかる形となった。選択的夫婦別姓というデザートの味をどうするかばかりを腐心し、経済政策や安全保障といったメインディッシュは選挙前に動画で紹介する程度に留まった。それにより自民党政策論争を回避し、「ただメレンゲを提供するだけで勝利」できたのである。
 
 
一方、自民党立憲民主党がスフレパンケーキをつくっている中、「そんなしゃばいもの食えるか」という市民の声に応答した形になったのが「たこ焼きを売る維新」である。国民の多くが自民も立民も「スフレパンケーキを売るリベラル」「デザートだけ売るレストラン」と考える中、単体で成立する料理であるたこ焼きは飛ぶように売れた。特に大阪では小選挙区で軒並み勝利し、辻本清美氏が落選するほどの勢いであった。スフレパンケーキはその美味しさとは別に料理の属性としては「東京もん」の食べ物なのだ。あるいは新奇に出てきたあまったるい食べ物であり、伝統性に著しく欠ける。もっと端的に言えば「日本人の舌に合わない」。そのような東京のスイーツと比べるとたこ焼きは安心できる料理なのである。たこ焼きがいかにローカルな食べ物であったとしても、自民と立民が本来提供すべき一汁三菜を提供しないのだからたこ焼きを売る維新にも分があるというものであろう。それは全国にあっても変わることはない。たこ焼きとスフレパンケーキの二択であればたこ焼きを選ぶ人が多いはずだ。
 
 
 
ジェンダー問題を解消することがいかに崇高な理念であっても国民の舌に合わない政治思想は売れないのだ。それは「立民はツイッターを見過ぎている」といった批判からもわかることである。スフレパンケーキが美味しいのはわかるけれどそれを国民的なものにするには「実際に食べてもらう」しかない。インスタやツイッターハッシュタグでは駄目なのである。どんなに綺麗にスフレパンケーキの写真を撮り、宣伝しようとも食べてもらわなければその良さはわからない。リベラリズムを都市の論理から国の論理に拡張したいのであれば実際にスフレパンケーキを地方の人に食べてもらうしかないのである。
立民はツイッターを見過ぎというのはそのような理由で、政党であれ個人であれフィルターバブルの中にいる間は誰もがエコーチェンバーにならざるを得ない。エコーチェンバーが悪いわけではなく、誰もがエコーチェンバーに「ならざるを得ない」のだ。それはネットでもリアルでも変わらない。実際に東京ではスフレパンケーキはよく売れるのであろう。しかしそれはリアルでもネットでも内集団の論理であり、国政選挙のような場合には外集団がどう思っているのかを考える必要がある。都市という内集団に閉じこもってしまった立憲はそこからして間違っていたのだろう。
みながスフレパンケーキを美味しいと言ってくれているからそれをメインに売ろうという内集団の誘惑に負けることがつまりエコーチェンバーの悪しき側面ではないだろうか。
 
それは維新だって例外ではなく、あらゆる政策を考慮してコース料理として提供すべき国政、つまりレストランでたこやきを売ることは望ましいこととは言えないであろう。たこ焼きが崇高な料理であるという大阪の先入観に囚われエコーチェンバーになっているとも言える。立民とは別の形のエコーチェンバーではある。それが今般の選挙では功を奏する形になったけれど維新の政策を全国規模で展開するにはたこ焼きは依然ローカルフードに過ぎないとも言える。緊縮財政のような地方で人気がある政策を国政に採用しても良いかは慎重に考えるべきではある。
 
 
こうした文章はゆえん「ネットと政治の関係」の域を出ず、これまでも散々語られてきたことではある。しかし国民はインターネットを見ているようで見ていないことが今回わかっただけでも各党において収穫なのではないだろうか。きちんと日本食の料理を出してレストランとして成立していることが国政においていかに大事なことであるか、そうした民主主義や憲政のあるべき姿を確認できただけでも充分に良い選挙であったように、個人的には思っている。