メロンダウト

メロンについて考えるよ

裏金問題を見ていて

こんにちは

株価(日経平均)が過去最高値を更新、内閣支持率が過去最低になるというなんとも捻じれた状況を見ていてちょっと思うところがあったので書いていきます。

 

通常であれば株価が上がり経済が豊かになれば国民の生活が楽になり政治への関心が薄れ政権も安定するものと考えられているが、現状、そうはなっていない。

まず経済が豊かになっているというのが嘘で、インフレ率や物価上昇率を加味した実質賃金は下がり続けている。

11月実質賃金3.0%減、20カ月連続マイナス 特別給与減響く=毎月勤労統計 | ロイター

したがって国民の生活も楽になっていないので政治にたいするフラストレーションが溜まっている。そうした状況に自民党の裏金問題が重なる形で内閣支持率が過去最低となった。

鈴木財務相 政治資金問題 “納税行うかは議員が判断すべき” | NHK | 政治資金

 

 

岸田総理は、政権が発足した当初、「新しい資本主義」を掲げていた。新しい資本主義の内訳は「構造的賃上げ」「国内投資の活性化」「デジタル社会への移行」の3つだった。アベノミクスによって株価が上昇し名目的にはインフレに転化したのでその恩恵を国民に波及させよう。そんな狙いがあったのだろう。しかしながら政治がやったことと言えばNISAやIdecoを使い投資するよう国民に呼びかけはするものの、実質賃金の下落からもわかる通り、給与所得の伸びは充分でないまま物価が上がり続けてきた。そもそも金融市場の恩恵を国民に波及させ分厚い中間層を形成することに成功した例は僕が知る限りないので無理な話だったのだろう。やるのであれば北欧のように福祉を充実させ給与所得の多寡に関わらず子供を持てたり豊かな暮らしができるよう「大きな政府」を目指すしかないのだと思う。

しかしながら政府が大きくなるには権力を預ける足る信用できる政権与党が必要になる。日本においては自民党だが、その信用は統一教会の件や裏金問題によって決定的に失われてしまった。もとより族議員二世議員、老人が多いことからも国民は政治を信用していなかったのだと思うが、昨今の報道により自民党の支持率は文字通り地に落ちたと言っても過言ではない。

振り返るにそうした政治への信頼の無さを補っていたのが安倍元総理だった。良くも悪くも安倍元総理には求心力があり、支持する側も批判する側も安部さんを中心に政治が回っていた。その求心力により他の議員が関わる自民党の体質的問題が覆い隠されていたのであろう。当時はモリカケ問題のような首相個人の資質の問題に批判が集中していたが、今は自民党全体の信用が損なわれている。しかしながら安倍元総理の時と今とで他の議員がやっていることはそれほど変わらないだろう。象徴がいなくなったことで全体に焦点が当たるようになった。単にそれだけである。裏金問題も統一教会との関係も、すべて「昔からこうだった」のである。

 

 

このような顛末を見ていると全体主義の議論を思い出す。なにぶんそんなに詳しいわけではないけれど全体主義の要諦は虚構性と権威主義にあると読んだ記憶がある。全体主義の原因は権威主義的パーソナリティーにあるとされている。権威に迎合し、権威に責任を帰着させることで「国家を抽象的(虚構的)にのみ捉え想像力だけで運用しようとする人」の独裁を許してしまうことになるというのだ。時に乱雑な現実の人間社会を棚上げし、論理的かつ抽象的に物事を捉えその延長線上に国家があると妄想し、聞こえの良い理想世界をプロパガンダとして喧伝し、票を集め、さらに周りを権威主義的パーソナリティーを持つ人で固めることで「僕が考えた最強の国家戦略」を実際にやってしまうのが全体主義の恐ろしいところだと言われる。

 

このような全体主義の土壌が自民党にもあるのではないかというのが裏金問題のもうひとつの側面である。

裏金問題はようするに本来は政治資金収支報告書に記載すべき収支を記載していなかったものであるが、当時このニュースが出た時、多くの議員が言っていたのが派閥の指示・慣習だったというものだ。ものすごく簡単に言えば「みんながやっていたからやった」というだけの話であり、すごくしょうもない話ではあるのだが、しょうもないゆえに重大な問題ということが言える。単純に申告していなかったことや裏金を何千万ため込むことももちろん問題なのだが、それより政治家の資質として派閥の慣習に何も考えず迎合することは権威主義的パーソナリティーそのものであり、そちらのほうがよほど重大な問題であるように僕には見えた。収支を報告するという当たり前すぎることも自ら判断できない。それは何が正しいことなのかを判断する職業である政治家にとっては職務遂行に関わる致命的な問題と言わざるを得ない。

「派閥からの指示」 自民、裏金事件で91人分のヒアリング結果公表 [自民] [岸田政権]:朝日新聞デジタル

裏金問題に限らず統一教会の時もそうだった。多くの自民党議員が洗脳商法を行っていた統一教会の集会に「みんなが出席していたから出席していた」。これも権威主義的パーソナリティーのひとつのあらわれであるだろう。

 

ようするに自民党の少なくない議員は権威主義的に物事を捉えており、何が正しいことなのか自分ではあまり考えなくなっている。いや、もとを辿れば権威に迎合的な人ほど出世しやすいのが日本社会だと言われていることを考えれば今の政治状況は自ら考える人が離党したりしてスクリーニングされた結果に過ぎないのかもしれない。

 

いずれにせよ裏金問題と統一教会の件によって自民党全体の体質が露わになり、支持率だけを見れば次の選挙で立憲民主党に政権が取って代わるかもしれない事態になっている。しかしリベラル勢力を支持母体とする立憲民主党は「想像力が豊かな政党」というのが僕の印象であるため、別の意味で全体主義的であり、個人的には支持できない。

想像力が豊かな立憲か、権威主義的パーソナリティーを持つ議員が数多くいる自民か、どちらにせよ全体主義的であるならばどこに票を入れようと保守かリベラルかといういつものやつに付き合わされるだけで根本的には何も変わらないだろう。

 

けれど、しかしというかなんというか、こうして政治について批判的に書いてはみるものの、「考えなくなった」という点に関して言えば、僕も昔ほど物事を考えなくなった。あと20年もすればきっと「考えようという考え」だけが残り、さらに10年も経てば考えることなどやめてしまうかもしれない。そのような肌感覚を持ちながら国会中継を見ていると不惑を超えた老人が政治を業務としてこなすようになるのも感覚としては正直わからないでもなかったりするのである。